カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年間第26主日 世界難民移住移動者の日 マルコ 9・38-43、45、47-48

2021.12.26 (日)
兄弟姉妹のみなさん、

 本日、教会は「107回目の世界難民移住移動者の日」をお祝いしています。多くの人たちが生まれ育った土地から離れなければならない現代の状況とその様々な原因について考えながら、今日の典礼で教会が示している神のみ言葉に関連づけていきたいと思います。
教皇様はこの大きな移動に関して、自分たちの根っこを断ち切って出ていかなければならない痛み、そして特に難民の人たちに関して、私たちキリスト者に、もっとこの現実を意識して、そのような人たちを迎え入れるようにと呼びかけています。
 ですから、「さらに広がる“わたしたち”へと向かって」が、今年のテーマです。

移住する人たちの世界レベルの状況
 人の移動はさまざまな原因で起きています。データによると、この国際的な人の移動は国や地域ごとに同じではありません。それは経済的、気候のこと、戦争が齎した不安定な状況など、社会的要素によって違います。移動する多くの人たちは国境を越えるのではなく、自分の国に留まります。その数は2009年に7億4千万人と想定されています。しかし、国際的な移民は予想していたより速い増加で、近年明らかに増えています(世界の総人口は約78億人。その3.6%の2億8千万人は国際的移民です)。

日本に来ている移民の数
 国際連合から2019年に発表されたデータによれば、日本には2,498,891人が外国から移り住んでいます。それは全人口の1,98%です。2019年の総務省の人口調査によると、日本に住民登録している人は127,443,563人。そのうち、日本の国籍をもっている人は124,776,364人。ということは、全人口は433,239人の減少になります。それは1968年の人口調査以来初めてで、一番大きな下落で、10年続けての人口の減少になります。2009年が一番大きな減少です。もう一方で、日本に住んでいる外国籍の人たちは、2,667,199人増えています。これは現在外国籍の人が全人口の2,9%にあたることを意味し、歴史上初めて2%を超えたことになります。
 この4半世紀余り、私たちの全ての小教区では、様々な国から移住している人たちを受け入れています。フィリピン、ベトナム、ブラジル、ペルー、中国や韓国など。最近までは日本国内での移動もありました。例えば仕事の状況による他県への移動です。教皇様は私たちに、「さらに広がる“わたしたち”へと向かって」いく努力をしましょうと、言われています。
 小教区を訪問する時、わたくしは、喜びのうちに、私たちの全ての共同体が、教皇様が願われているように、多文化へと開かれていることを体験しています。今は、新型コロナウイルスの感染防止対策によって人数は減少していますが、私たちは確かに共同生活をもっと良いものにすることができます。それは日本人と外国籍の人だけではなく、若者と大人の間にも言えることです。愛情をもって高齢者を尊重するようにと、教皇様は教会に望んでいらっしゃいます。今年から、7月の第4日曜日を「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定められました。それはマリア様のご両親である、聖ヨアキムと聖アンナの典礼祝日に一番近い日曜日という理由からです。

今日の神の言葉のメッセージ
 ですから、今日の朗読を、移住する人たちへの教皇様のメッセージに合わせて読むことが出来ます。
「神の名によって行う奉仕では、誰も除外することはない」

第一朗読(民数記11:25−29):「主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」
 民数記の第11章は、神の民が荒野を旅していた時の様々な段階を語っています。この語りによると、そこには一つの問題があります。民は長い年日にわたってマナを食べている。そのことに飽きて、そこに誘惑が現れます。エジプトでは奴隷だったにもかかわらず、その生活を懐かしく思うようになります。その時は新鮮な野菜、肉や魚を食べることが出来ていたからです。この人々の要求に、モーセはどうしたら良いかわかりません。大きな挑戦でした。この要求に対して神は怒ります。モーセの心配はさらに大きくなります。そこで、モーセは、この状況を打開するために、神が具体的な形を見せてくれるよう願いました。そこで、神は、民の中から70人の代表を集めるように提案しました。それによって、彼らはモーセと一緒に民を導くための賜物を神から授けられました。 
 しかし、具体的なメッセージは後に来ます。二人の人間、エルダドとメダドは、彼らと一緒に幕屋はいなかったにもかかわらず、民に預言し始めます。すると、モーセの大切な協力者であったヨシュアは彼らに対して怒り、見たことをモーセに伝えました。しかし、モーセはヨシュアに言いました。「主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」(民数記11:29)。すなわち、もっと多くの人たちが協力するように、過去に戻ることではないと民が悟り、約束の地に向けて自由の民として生きていけることを考えるように神は望んでおられる、と伝えたのでした。

福音(マルコ9:38−43、45,47−48)
 同じように、この日曜日のマルコ福音書が指摘しています。イエスの弟子たちも似たような状況に置かれています(マルコ9:33−37)。誰が一番偉いのかという議論に対するイエスの教えを聞いたばかりなのに、次の出来事が起きます。イエスに従っているメンバーの排他性を示す出来事です。ヨハネは、イエスの名前を使って悪霊を追い出している人がいたので、それを止めさせようとしました(マルコ9:38)。イエスは「わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい」(マルコ9:39)と言われました。すなわち、神の国の建設の作業においては、誰も特権を持っている訳ではない。恐らく、弟子たちは、まだはっきりと分かっていなかったのです。それとも、イエスのグループに所属するのは、無償の恵みであるということを忘れていたのかもしれません。イエスが弟子として選んだのは、彼らの功績によるものではありませんでした。イエスが知っていた彼らは、一番良い人でもなく、その社会の代表でもなく、ただ、イエスがそのように望んだからでした。
 私たちはヨハネや他の弟子たちに似ているところがあります。組織の中のメンバーでない人が私たちより上手にすると、嫉妬することがあります。そして、どうしても次のような言葉を言ってしまいます。「でもあの人はあちらのグループ、私たちの仲間ではない」と。
普遍的使命、善を行う、愛徳を実践する代わりに、自己利益や権威と排他性の基準を先に持ってくることがあります。

 喜びのうちに、私たちの共同体の中にいる移住者を大きな心で受け入れましょう。移住してきた方々にお願いします。日本人や日本に長く生活している人たちを尊重し、共に新しい兄弟姉妹として生きる努力を続けてください。文化の違い、さまざまな食べ物や祈り、宗教的お祝い、新しいメンバー、特に若者と子どもたちが私たちの共同体を豊かにします。クリスマスや、他の共同体独自のイヴェントを、創造性をもって祝うことによって、私たちの教会を美しくしましょう。