カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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聖母の被昇天 ルカ 1・39-56

2021.12.15 (日)
兄弟姉妹のみなさん

 今日は、聖母の被昇天の祭日です。しかし新型コロナウイルスの深刻な感染拡大によって、ほとんどの小教区では、ミサに与ることができないでしょう。ですから、5月に行ったように、司教として、この祝日のための短いビデオメッセージを送ることにし、さいたま教区のホームページに載せていますので、どうぞお読みください。聖母マリアが、皆さん一人一人に寄り添い、全ての悪から守ってくださいますように。

 おそらく多くの皆さんは、このパンデミックの中で、映画館やYouTubeで色んな映画をご覧になったでしょう。わたくしが見たある映画では、日本も含めて地球のさまざまなところで起きている地震と津波、温暖化による長期的な干魃が原因の森林火災など、地球規模の気候変動などが描かれていて、とても終末論的なものでした。
しかし一方では、科学者たちはそれらの解決方法も提案しています。国や政治も、人類を救うために、一生懸命闘っているのです。また、いくつかの映画はパンデミックについて取り上げていました。

 人類を救うための様々な闘いが行われている中で、とんでもないこと起こっていることに驚かされています。それは、このような危機を利用して、自分の富を得ようとする人たちがいること、さらには、被害の状況を利用して、権力を広げていくという企みまであることです。映画では、善と悪の戦いを描きます。最初に悪の力が現れ、最後には良い人、善が勝利を得るのですが・・・。

「希望の原理」(エルンスト・ブロッホ)
 それらの映画はなぜか不思議な緊迫感と魅力に満ちていました。描かれているのは、人間がこの自然を相応しくなく扱っている結果、秩序を失った自然が与えている被害の大きさでした。
 しかし、いつもこの世界のどこかで、男女を問わず、若者も熟年も、知恵と命を捧げてこの地球を救おうとしているのです。傷つけられたこの地球を救い、再構築するために多くの人を動かすものが、神学では「希望の原理」と言われます。エルンスト・ブロッホという経済学者が唱えたものです。人類を救うために、世界中の多くの人たちを動かしている内的な力のことです。そのリストには、科学者、政治家、宗教家、医師、自衛隊、労働者、教員などが挙がっています。

 20年、あるいは10年前、私たちは、地球環境の悪化が幾万人もの人に深刻な影響を与え、数え切れない人々に移動を余儀なくさせることが、まさかこんなに早く起こることになるとは考えなかったでしょう。そして、今、神様の恵みによって、私たちはそのことに気付かされ、この現状に危機意識を持ち、不安を感じるだけでなく、何とかできないか挑戦しようとしています。

ヨハネの黙示録が伝えている希望のメッセージ
 今日の第一朗読では黙示録の11章が読まれました。教皇フランシスコにはこの11章の眺めにとても親しみをお持ちなのではと想像しています。回勅など、さまざまな書物、司牧的訪問の旅でのスピーチの中に私たちはそのことを感じています。

 みなさんにお願いします。世界のリーダーたちが強く呼びかけていることに耳を傾けましょう。宗教家、あるいは政治家たちに、また軍事力などよって、この社会の経済をコントロールできる人たちに影響を与えるように、強い呼びかけをしましょう。私たちみんな、全ての人が力を合わせて、この地球資源の消費の仕方を変えなければなりません。そして、私たちの共通の家を守る人でなければなりません。

 黙示録では、竜が女性の命と、そこで生まれようとしている命を奪おうとしています。戦いが強調されています。この女性は、教会だけでなく人類のシンボルです。悪の力に襲われている教会、人類。権力を利用して、自分の希望通りにこの世を支配しようとする人の中にある悪の力。特に政治的リーダーと宗教家の中にもあるものは、絶えることのない権力の誘惑です。黙示録はこの誘惑をシンボル的に描いています。このカオスの中で、神の現存を示す契約の箱が現れています。

 それぞれの時代において、その時を、人類は緊張の中で生きていることを私たちは知っています。戦争、自然災害、今のようなパンデミックに人類が溺れそうになっている今を生きるのです。幾万人の人たちが危険を犯しながら、移動しなければなりません。場合によって昼夜を通して何キロも歩かなければなりません。落ち着いて新しい生活を始められる場所を探しながら。

訪問のマリアのように:もっと良い世界に仕えるものとなる
 皆さん、もっと正義、一致、連帯性ある世界を築く努力を約束しましょう。自分が所属している教会共同体の兄弟姉妹、あるいは友人、ご近所さんや親戚などの中に、私たちの支援を必要としている人たちを見た時、励ましたり、必要なら、経済的に助けたり、できることをする努力をしましょう。最も助けを必要としている人たちが、人間としてもっと尊厳ある生活ができるよう、私たちも聖母マリアに神への取り次ぎをお願いながら、努力を続けましょう。