カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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四旬節第4主日 ヨハネ 3・14-21

2021.12.14 (日)
 実は、この説教の準備は、3月11日、忘れもしないあの時刻、14時45分までにはまだ4時間以上ある午前中に始めました。その時刻には、日本中で、人々は1分間の黙祷をし、東北の地震と津波で亡くなられた方達の永遠の安らぎを祈られたことでしょう。皆さんも今日の共同祈願の中で「東日本大震災被災者のための祈りII」などを使って祈ってください。

 日本の司教団のホームページには、震災10周年のメッセージが載せられています。この災害には日本国内だけでなく、国際的な助け合いの輪が広がりました。2019年秋に日本を訪れられた教皇フランシスコが、「そのような行動は、時間が経てばなくなったり、最初の衝撃が薄まれば衰えていったりするものであってはなりません。むしろ、長く継続させなければなりません。」との指摘を引用しながら、日本のカトリック教会は教皇の言葉に導かれて、「「展望と希望」を回復するために、友人として、兄弟姉妹として、東北の皆さんとともに歩み続けたいと思います。」と力強く述べられています。また、2011年11月に発表された「いますぐ原発の廃止を」という司教団メッセージを受けて、福島の原子発電所事故によって、今も苦しんでいる兄弟姉妹のことを忘れないでくださいと呼びかけています。
 数百キロにわたって津波に吞み込まれた東北の海岸で、行方不明になったまま、未だに見つかっていない家族や親しい友をもつ方々のことを忘れないでください。
ご一緒に、黙祷で始めましょう。

 さて、今、私たちは新型コロナウイルス感染症のパンデミックの中という特別のときを生きています。公開ミサも休止中です。ですから、御言葉をいつもにも増して深く味わうことが大切だと思います。第1朗読から始めたいと思います。

第一朗読(歴代誌下36・14−16、19−23)
 今日朗読された箇所は、歴史の中の災害や災難と不幸の時に、神がどのように働くかを理解するための助けになると思います。歴代誌で描いている歴史的な状況は現代の世界とは異なりますが、2011年3月11日に起きたことや新型コロナウイルスによる世界のパンデミッックは、私たちが神の現存を発見するための光になります。

 歴代誌の作者は最後の章に、ヨシア王の死からバビロンへの追放についての端的なまとめを残しています(紀元前約639−586年)。すなわち、この悲劇的な出来事の原因は、「民と共に諸国の民のあらゆる忌むべき行いに倣って罪に罪を重ね」(歴代誌下36・5、9、12、14)。王たちの背信が積み重なったためだ(歴代誌下、36.16−20)と記しています。また、最後の節(22と23節)には、ペルシャ王キュロスの布告のことが記されています。それによると、バビロンに追放されたイスラエル人たちは、エルサレムに戻れることになります。ユダの国の悲劇の歴史が、最後には希望を与えるものになるのです。

聖なる著者の考察
 聖なる著者は、選ばれた民の歴史を解釈しています。この解釈は意味深く、また端的なまとめです。選ばれた民の反抗的な行動の結果として、神の罰を体験し、神殿は破壊され、民は追放されます。追放された民には土地がない。神が本当に民を忘れてしまったかのように見えるのですが、その後、神の罰を通して見えてくるのは、神はいつくしみの計画を持っておられるということです。

 聖なる都と神殿の破壊、追放は民の心を揺さぶり、神をもっと深く知るために神にたち帰らせます。主は、単なる人間的な力を超えて、ご自分の絶対的な主導権を優先し、異邦人であるペルシャの王、キュロスを遣わしてイスラエルを解放しました。

福音(ヨハネ3・14−21)
 復活祭にむけての歩みの中で、私たちは今日、四旬節の第4日曜日にたどり着いています。荒野を通過するイエスと共に歩む道、すなわち神の声に耳を澄ませる時、そして私たちの中に忍び寄る誘惑を取り除ける時です。

 この砂漠の地平線に十字架が見えます。イエスは十字架が使命の頂点であることを知っています。すなわちキリストの十字架は、愛の頂点。私たちに救いを齎します。今日の福音書でイエス自身が語っています。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3・14−15)と。

 この言葉は出エジプト記にある出来事を指しています。多くのユダヤ人が毒蛇に噛まれて死にました。すると神はモーセに、青銅の蛇を作り、それを柱の上に高く上げるようにお命じになりました。蛇に噛まれた時には、青銅の蛇を見ると癒されるのです(民数記21・4−9)。それと同じように、イエスは十字架に上げられます。罪によって死の危険に直面する全ての人が、信仰をもって自分をイエスに向けると、私たちのために死んだイエスによって救われます。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3・17)
神の大きな愛で私たちは癒されます。そのために、私たちがするべきことを忘れてはいけません。私たちが病人であることを認め、癒されたいという希望を持たなければならないでしょう。それぞれが自分の罪を告白し、十字架上で既に与えられている神の赦しが、私たちの心と生活の中に実現しますように。

 ですが、人は時々、光より闇を好みます。それは罪に縛られているからです。しかし、本当の平和と喜びは光に向かって開き、自分の罪を誠実に神に告白することによって見つけることができるのです。ですから、できる時にはゆるしの秘跡に近付き、主の赦しを受けましょう。私たちの回心の道を強くすることが大切です。

 兄弟姉妹の皆さん、今週、3月19日は聖ヨセフの祭日をお祝いします。教皇フランシスコによって、今年は聖ヨセフの年になっています。桐生のクララ会のシスターたちが聖ヨセフの小さな御絵を作成されました。家のどこかに、例えば、玄関、あるいは食器の戸棚に置くとか。もしかしたら、ちょっと家を片付けなければいけないかもしれませんね。ヨセフの取り次ぎを毎日願う。特に人間的な解決が見つからない問題に出会ったとき、それをヨセフに届け、「聖ヨセフ、私たちのために祈ってください」と願いましょう。

聖ヨセフへの祈り
聖ヨセフよ、マリアの夫であり、救い主イエスの保護者よ、
私は信頼をもってあなたによりすがり、
霊的物資的な取り次ぎを心から願います。
生きているかぎりあなたの徳にならい、
死が訪れるときに永遠の喜びに与れますように、
あなたの助けをこい願います。アーメン。