カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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主の公現 マタイ 2・1-12

2021.12.3 (日)
「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2.2)

 今日は主の御公現の祭日です。教会の典礼では本来は1月6日に祝いますが、色々な国では司牧的な理由で降誕節の第二主日に祝っています。そして、その次が主の洗礼の主日に当たり、降誕節が終了し、しばらくの間、年間のB年の典礼が四旬節の始まりの灰の水曜日まで続きます。このお祝いは昔からあり、強調しているのは、すべての国々にイエス・キリストが人類の救い主として公現されたことです。マタイ福音書では、ベツレヘムで生まれたユダヤ人の王を拝むためにやって来た、占星術の学者たちの訪れによって現わされています(マタイ2・1−12)。

イエスが「新しい光」として照らし、引き寄せる
新しい光は降誕祭の夜に輝き、天からの印として学者たちを引き寄せ、ユダヤへの旅へと導きました。そして、今日、世界に輝いています。降誕節とご公現は、この光のテーマで特徴づけられていますが、北半球では冬至の後、夜よりも昼が長くなるということと関連しているのでしょう。しかし、この地理的な位置の違いを超えて、すべての民へのキリストの言葉があります。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8・12)
イエスは、私たち一人一人の存在を照らし、すべての人を共に目的地へと導くため、人類の地平に現れた太陽であり、その目的地とは、自由と平和、神と互いに全面的な交わりを持って生きる世界です。

今日の第一と第二朗読
イザヤ預言者はエルサレムの町(‘教会’に置き換えられる)に向けて呼びかけます。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。」(イザヤ60・1−2)と。
そして、パウロは次のように言っています。「今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」(エフェソ3・5-6)。キリストが人類に与える救いの恵みは、キリスト自身から教会に委ねられました。神秘と言うしかありません。
この世は、人類が道を歩むための光を与えることはできない。それは現代の状況の中で確認できます。西洋文明はその方向性を失い、手探りでの旅をしているかのようです。しかし教会には、神の御言葉によって、この霧の中で見えているのです。未だ解決には至ってはいなくとも、目は目的地に向かっています。どんな国、どんな文化の中に生きていようとも、すべての人に福音の光は輝いているのです。

この世の闇の中で神を捜す。どのようにすればよいのか? 必要な3つの姿勢
東方の学者たちは神の探究を継続しました。その物語は、私たちを神に自動的に導いてくれる方法などないことを教えています。しかし、神との出会いを準備してくれる道はあります。いくら、神についての素晴らしいスピーチをしても、私たちが心から神の神秘に開かれなければ,神と出会うことが出来ません。
神に向かうための最も重要なことは、心の底から、真心で呼び求めること。そこで、人は神の神秘に信頼して心を開くか、無神論者として生きることを選ぶか、という問いかけなのです。あの砂漠の隠者、シャール ド・フーコーは、仲間の人たちと祈るとき、いつも、次の祈りで始めたと伝えられています。「神よ、もし存在しているのであれば、あなたの御顔を現してください。」暗闇の中でのこの呼びかけは、謙遜で正直です。神の神秘に対して、私たちを敏感にさせる最も純粋な道ではないでしょうか。
自分自身を神に向けるためには、私たちの生活の中で、神との出会いを妨げているものを取り除くことも重要です。自分の中から取り除かなければならないことすらあります。全てを知ってすべてを理解しようと望むこと、現実の奥にある神秘、人間とは何か、命とは、死とは何であるか、それらの全てを理解しようとする思いを捨てなければ、本当に神に出会うことは難しいでしょう。自分自身のエゴに、そして、他者に対しての無関心や、愛を感じないことに閉じこもる限り、愛である神に開かれていくことは難しくなります。
そして、三つ目のとても重要な姿勢は、希望を持ち続けること、探究し続けること、呼び求め続けること、そしてじっと待つこと、です。命の源である神秘に向かって歩むためには、他の方法はありません。
東方からの学者たちの物語は、神の探究への姿勢を様々な形で示しています。学者たちは神秘に向けて旅に出かけた。遜って、暗闇の時を乗り越えるために、聞くことができました。そして、探究を続け、神と出会いました。そうして見つけた神は、限りなく弱い人間として受肉された姿、生まれたばかりで、飼い葉桶に寝かされた幼子の姿だったのです。

聖母マリアと聖ヨセフのとりつぎ
聖母マリアが、言葉と生き方の証をもって人々に神の救いの喜びを伝えようとする私たちを助けてくださいますように。福音宣教の星であるマリアと共に、私たちが世の光としての使命を果たすことができますように。そして、教会の保護者である聖ヨセフに御保護を求めましょう。今始まった新しい年、新型コロナウイルスが齎した危機を、乗り越えていくために闘っている私たちを守ってくださいますように。

祈り
博士たちのように、開かれた心で祈りましょう。
・ 日々遭遇する出来事の中に、神の新たな現存を発見することができますように。
・ 平和の道、他の宗教との対話の道を倦むことなく探し求め、博士たちのように、新たな神の現存に心が開かれますよう。
・ 私たちの父である神よ、今日の福音は、東方から来た博士たちがどのようにイエスを見つけられたかを語っています。私たちの父であるあなたを捜し求める人があなたを見つけ、あなたの御顔の光をしっかりと見ることができますように。
私たちの主、イエス・キリストによって。アーメン。