カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

←前の年 2021年  次の年→ 

年間第33主日 貧しい人のための世界祈願日 マルコ 13・24-32

2021.12.14 (日)
兄弟姉妹のみなさん、
 この日曜日は、典礼暦年の最後の主日の前の日曜日です。今日の典礼は、ダニエルの預言とマルコの福音書を通して、時の終わりについて語っています。
ですから少し立ち止まって、教会が伝えようとすることを理解する努力をしましょう。特にキリスト者にとって、今の時の印をどのように読み取れば良いのか、人類の歴史的なこの時を、どのように生きれば良いのかを考えましょう。

 私たちの多くは、さまざまな出来事について、ニュースを読むことで情報を得ています。預言者ダニエルやマルコ福音史家が書いている印と同様です。しかし、間違った、いつわりの解釈に惑わされないようにしなければなりません。特に、年末になると、東京など人出が多いところで、メガフォンを持っていろいろなことを言っている、終末論的預言者たちがいます。

第一朗読(ダニエルの預言12:1−3):神はご自分の民を抑圧から救われる
 今日のミサで読まれたダニエル書の章では、民を守る役を持っている大天使ミカエルを通して、神は「人々のために神が入って来る」と発信します。
 この預言者の書は、終末論的流れの中に位置付けられ、これは旧約時代の終わりには広く知られているものでした。
 ですからダニエル書は、希望への呼びかけだったのです。時の終わりに何が起きるかについての、神からの特別な啓示ではありません。このような特別な表現を使っているのは、神の民が国々を支配する力に屈服しないためでした。
今日読まれている箇所から、確かにあの時代は破壊的であったと言えます。なぜなら、人間や、時、歴史の絶対的な主であるとされていたギリシャ人の支配力を拒否するように招いているからでしょう。

答唱詩篇16:神よ、守ってください あなたを避けどころとするわたしを
 ですから、教会が勧めている今日の答唱詩篇は、今日の第一朗読に答えています。この抑圧と自由の不足の中で、神に信頼を置くようにとの祈りです。
 さまざまな機会に、特に力の不足や、生きるための手段に足りなさを感じている時、この詩篇を祈ることができます。私たちの力だけでは心に平和を与えることができません。

福音書(マルコ13:24−32)
 今日の福音書は、マルコによるイエスの終末論的スピーチと言われている中の小さな箇所です。
三人の福音史家、マタイ、マルコとルカは、イエスの受難について話を始める前に、終末論的な味を持っているイエスの言葉を紹介しています。
 福音史家たちが話している終末論は、世の終わりではないということに私たちは気づかなければなりません。間違った解釈は、多くのキリスト者が隣人や歴史に対して責任を取らず、社会を変えるための対策を怠るという結果になりました。残念ながら、多くの人をこの世の問題から逃避させてしまったのです。貧しい人や阻害されている人から逃げてしまいます。兄弟姉妹に対して良いサマリア人のようであるように、というイエスの願いを忘れてはなりません。

 宇宙が揺れ動くほどのショック、星が落ちる、太陽と月が暗くなる、そのような宇宙の動きのイメージとは、どんなものなのでしょうか
 旧約時代の書物の中での、このようなイメージは、ある王、あるいは民を抑圧している国の崩壊を描くために使われている表現です(例としてダニエル4:19−20、エレミヤ8:2、エゼキエル8:16を見ることが出来ます)。そして、天の力と思われている天体が、神々の子どもとして、頭(ボス)と言われていました。その神の名によって、征服した民に強要していたのです。
 イエスの目的は、帝国、あるいは政治家の衰滅を描くことではありません。イエスにとっては、福音へと開かれる結果がある、とアナウンスすることが最も重要なのです。なぜなら、イエスが内に秘めているのは、不正なシステムのひび割れをあらわにする力、つまり、神の国の福音のすべてです。終末論的預言者たちが描いている、そのようなシステム、天体のようなものを破壊する力です。

メッセージ:イエスの福音によって社会を変えるよう呼びかけられています
 私たちイエスの弟子は、この世がもっと人間的で、もっと兄弟愛に満ちたところであるように力を合わせなければなりません。何万人もの兄弟姉妹を抑圧している、不正なシステムを取り去るために闘っている人たちに協力しなければなりません。洗礼を受けている人たちだけでなく、そのような目的のために命をかけて戦っている人々は、イエスが言われている「幸いな人と、神の国を受け継ぐ幸な人」のリストの中に含まれるでしょう。
「義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
平和を実現する人々は幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである、
天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:6、9、10)

 今の私たちの時に、自然災害は多く、絶えることがありません。そして、残念ながら、戦争や暴力も絶えません。今日必要としているものは、もっと兄弟的人類社会を築くための礎は、イエスとその福音からこそインスピレーションを得る、という確信です。