カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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四旬節第3主日 ヨハネ 2・13-25

2021.12.7 (日)
兄弟姉妹の皆さん、
 今日は四旬節第三の日曜日です。私たちの教区の教会では、来週の日曜日から、公開ミサを再開できることを期待していました。教区内の4つの県は、必ずしも同じ状況ではありませんが、ミサがある小教区への移動が簡単ですので、日本の司教団の方針に従って、教区全体で公開ミサの休止を継続することに決めました。それは埼玉県で、緊急事態が解除されるまでの予定です。皆様のご理解をお願いします。今までのように、家で祈り、Youtubeやインターネットを通して十字架の道行きやミサに参加してください。

この四旬節に向けて、緊急な助け合いの呼びかけ
 今日のヨハネの福音書に記された、イエスがエルサレムの神殿から動物や両替人たちを追い出した出来事を黙想する前に、皆さんにお知らせすることがあります。日本政府が入国管理及び難民認定法の改訂案を決定し、4月中に難民移動移住者に向けて発効することになりました。皆さんもご存知のように、日本には300万人の外国籍の人がいます。しかし、彼らの多くは在留資格を認められていません。日本社会のいくつかの分野での労働力不足のために雇われた、単なる労働者と見做されているのです。そして、数多くの外国籍の人たちが日本に長く住みながら、その子どもたちも日本で教育されているにもかかわらず、親にも子どもにも在留資格が与えられていません。先月19日に閣僚会議があり、入国管理が見直されました。残念ながら、その結果は彼らにとって有利に改められるどころか、逆に、もっと否人間的なもの、外国籍の人たちにとって、特に難民にとって不利なものとなったのでした。この日本の政治の閉鎖的な扱いは、国際社会から、特に国際連合から強く非難され、変えるように指摘されているのですが、日本政府は今までの頑なな姿勢を継続し、僅か0.4%の難民に一時的許可を与えているだけなのです。

教皇フランシスコは、東京ドームで、「よそから来た人、間違いを犯した人、病気の人、牢にいる人は、愛するに値しないのですか」と強く問いかけられました。イエスは彼らを「抱きしめた」とおっしゃいました。そして、政治家や外交団に向かって、「各国、各民族の文明というものは、その経済力によってではなく、困窮する人に、どれだけ心を砕いているか、そして、命を生み、守る力によって測られるものなのです。」と語られました。皆さんに最大限のお願いをします。力を合わせて、日本政府が入管法及び難民認定法の改定の発効をしないように働きましょう。日本政府は4月中にこの法律を成立させることを予定しています。これを止めるために署名運動ができるのは3月しかありません。インターネットでサインをするためのページを開いてください。http://chng.it/fnFDqSYb (Multilingual version)。様々な言語での説明の後、「賛同」という言葉があります。そこをクリックしてページに入り、署名することができます。

四旬節第3日曜日に関しての黙想(ヨハネ2・13−25)
 四旬節第3日曜日、ヨハネの福音書は、イエスがエルサレムの神殿から動物や両替人を追い出された有名なエピソードについて語っています。すべての福音書で扱われているこの出来事は、過越祭に近い時のことです。そして、群衆や弟子たちの間に大きな衝撃を与えました。イエスのこの激しい行動をどのように理解すればよいのでしょうか。

 まず、公の秩序を守る警備員たちはイエスを取り押さえなかった。なぜなら、それは預言者の典型的な行動と受け取られたから。実際、預言者たちは、神の名によって、権力者たちの権力の乱用を訴えていました。時に彼らは象徴的な行動を見せていました。
問題の核心は「権威」についてでした。ユダヤ人たちはイエスに尋ねます。「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」(ヨハネ2・18)。すなわち、彼らは、イエスに対して、本当に神の名よって行動しているのだということを証明して欲しいと迫ったのです。

 しかし、この神殿の出来事、商売人が追い出されたことは、政治的な革命として解釈され、イエスは熱心党の一人として扱われました。神の霊に対して熱心だったからです。それを実行するため、強制的に守らせようとしたところもあります。イエスの時代、イスラエルの民はローマの支配から自分たちを解放するメシアを待っていました。しかし、イエスは期待していた彼らをがっかりさせました。幾人かの弟子たちはイエスから離れ、イスカリオテのユダはイエスを裏切りました。
事実として、イエスを、暴力的なゲリラ、あるいは軍人と解釈することは不可能です。暴力は神の国に反しているからです。暴力は人の役に立ちません。更に、人を非人間的にします。イエスは、この世に神の現存を証しするための道具として、暴力を使うことは決してありません。
 このような行動をとったイエスの言葉を聞きましょう。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ2・16)弟子たちは聖書に書かれている言葉を思い出しました。「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」(詩篇69・10)。
 この詩篇は、敵の憎しみによって危険な状況におかれている時に、助けを求める祈りです。それは、イエスがこの後に直面する受難のことです。
父と、父の家に対する熱意がイエスを十字架にまで導く。イエスの熱意は、暴力で神に仕えるのではなく、ご自分の肉で表す愛です。事実、権威を示す印として、イエスが与える印は死と復活です。
『この神殿を壊してみよ。3日で建て直してみせる。』『この神殿は建てるのに46年もかかったのに、あなたは3日で建て直すのか』。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。」(ヨハネ2・19、21)

 イエスの過越によって新しい礼拝が始まり、それは愛に基づく礼拝でした。イエス御自身、復活されたキリストがその新しい神殿です。信仰者は霊と真理によって、御父である神を礼拝することができるのです。

 兄弟姉妹の皆さん、聖霊は乙女マリアの体内でこの新しい神殿を建て始めました。マリア様の取り継ぎによって、一人一人のキリスト者が霊的建物の生きた石であるように祈りましょう。

祈り(ここに個人的に、祈りを付け加えることができます)
➕ 人権が、表面だけを取り繕った、綺麗ごとの善意の宣言に留まらず、共同生活の基本的な規範として、すべての国々で受け入れられ、尊重されますように。
➕ 世界で重要な決断をしなければならない立場にいる人たちが、難民や経済的な理由による移住移動者の受け入れに関して、正義と兄弟愛と貧しい人を優先した行動をとることができますように。祈りましょう。