カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

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復活節第2主日(神のいつくしみの主日) ヨハネ 20・19-31

2021.12.11 (日)
 今日、復活節第2主日は、2000年からは「神のいつくしみの主日」とも呼ばれています。その制定は、2000年4月30日、シスター・マリア・ファウスティナ・コヴァルスカの列聖式の日に、教皇ヨハネ・パウロ2世によってなされました。彼女はポーランドの「慈しみの聖母修道会」の修道者で、カトリックの神学者たちは、彼女の体験をキリスト教の中での最も優れた神秘と位置付けています。そこで、まず初めに、今日の福音に関連付けながら、「神のいつくしみの信心」の始まりとその特徴について紹介し、これが典礼に取り入れられた理由を説明します。

「神のいつくしみの信心」のはじまり
 復活の主日の次の日曜日が「神のいつくしみの主日」として選ばれたことには、神学的な意味があります。それは、過越の神秘と神のいつくしみの神秘の間に強い関係があるからです。この主日は、いつくしみの神秘において神を礼拝する特別な日であるとともに、すべての回心の恵みと、心の傷の癒しの日でもあります。
 彼女は「いつくしみの使徒」として知られ、現在知られている信心業は、シスター・ファウスティナの「日記」をもとにして広がりましたが、そこにイエス・キリストとの神秘的会話が書かれています。聴罪司祭である福者ミカエル・ソポチコ神父と、イエス・キリスト自身からの依頼で日記の形をとっています。特に第二次大戦後のポーランド人の移動によって、その信心業は広がりました。
 公式的調査の期間後、ヨハネ・パウロ2世が教皇職にあった時、この信心業に大きな後押しがあり、この教皇が神のいつくしみのお祝いを宣言し、復活節の第二日曜日に祝われるようになったのです。
 この信心の最も重要な内容は「神のいつくしみ」であり、その恵みは「死んで復活したイエスに全面的に委ねること」にあるとされています。
1930年、ファウスティナが描くように頼んだ、復活されたイエスのいつくしみの絵を観ながら、この信心業の特徴を発見しましょう。

「神のいつくしみの御絵」の起源
 1931年、イエスがファウスティナに現れ、神のいつくしみを示す絵を描いてくれるようにと、頼みました。ファウスティナはエウゲニウシュ・カジミエロフスキに依頼しました。彼はファウスティナの指示に従って作業し、最初の御絵は1934年に完成しました。しかし、完成した絵を見て、聖女は、嘆きの涙を流しました。その絵にはイエス様の美しさが反映されていなかったからです。
 しかし、イエス自身が彼女を励ましました。最も知られている御絵は、ポーランドの画家で美術の教師でもある、アドルフ・ヒワによって描かれたものです。1944年にクラコヴァの神のいつくしみのチャペルのために、第二次大戦で生き残った感謝の印として描かれました。1954年にその絵は修復されました。最初の絵には、牧草地と雑木林が描かれていたのですが、それを省き、背景を黒で、イエスの足元に土を描きました。人々が恵みをいただくようになり、この御絵は有名になり、現在、世界に一番広がっています。このように、イエスが聖女ファウスティナに願ったことは叶えられたのです。
「私はこの御絵が尊重され、最初にあなたの教会で、そしてそこを通じて全世界で、この御絵が尊重されることを強く望む。私は、この御絵を尊重する魂は 苦しめられることはない、と約束する。」
とイエスが言われたと彼女の日記に書かれています。

「神のいつくしみの御絵」の分析
 「神のいつくしみの御絵」は、イエスの啓示からシスターがいただいたビジョンに基づいて描かれたものです。その啓示とその指示は日誌に詳細に記録され、その後、ソポチコ神父に伝えられました。日誌の中で、シスター・ファウスティナはその出会いを次のように表現しています。
 「夕方になると、自分の部屋で(修道院)、白い衣を着た主イエスを見ました。右手を上げて祝福するため、左手は衣の胸の辺りにありました。衣の隙間から二つの光線が出ていました。一つは赤、もう一つは青。イエスが私に言いました。『このイメージに従って、絵を描きなさい。そして、「イエスよ、私はあなたに信頼します。」と記しなさい。私はこのイメージが尊重され、最初にあなたの教会で、そして、そこを通じて全世界で、このイメージが尊重されることを強く望む。私は、このイメージを尊重する魂は苦しめられることはない、と約束する』と。
 私たちの注目を最も惹きつける部分は、疑いなく、イエスの胸から出る赤と青の光。その意味は日誌に書かれています。
「二つの光は血と水を意味している。淡く白い光は魂を義とされる「水」を意味している。赤い色は「魂の命」です。それは血によって表されています。(日誌299)」
御絵全体は、カリタス、愛、赦しと神の愛のシンボル、いつくしみの泉として知られています。

私的な啓示は典礼に有効な結果をもたらした
 私的な啓示が典礼に与える効果について考えるとき、ファティマのメッセージについての神学的コメントをされた、名誉教皇ベネディクト16世(当時、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿)がかつてファティマの奇跡について述べられた言葉を思い出します。
「私たちが付け加えることができるのは、しばしば私的な啓示は庶民信心業に由来し、それに支えられている。そして、新しい推進力、新しい形を開いていく。これは典礼に影響がないとは言えない。例えば、『キリストのからだ』と『イエスのみこころ』のお祝いがその例である。」

神のいつくしみは、復活節の第2主日の福音書と関連しています
 神のいつくしみの姿は、今読まれたヨハネ福音書の箇所(ヨハネ20・19−31)に見事にあらわされています。人々を怖れ、隠れて集まっていた弟子たちの間に、復活されたイエスが現れ、弟子たちに「赦す、あるいは赦さない権限」を与えられます。
 そのとき、復活されたイエスに遭うことができず、イエスの復活を信じられなかった使徒トマスに対し、今度は、やさしく、トマスに御自分の傷を触るように言われます。復活からちょうど8日目に起きたことです(ヨハネ20・26)。ですから、この箇所が復活の8日目である復活節第2主日に読まれるのです。

私たちは、弱くて、罪人ですから、神のいつくしみをいつも求め、感じられますように。 このように神の愛の結果を体験することによって、私たちもイエスのように他の人に対していつくしみ深いものになり、私たちを侮辱する人を赦すことができますように。
「他の人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛して下さり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、・・・、キリスト・イエスによってともに復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。」(エフェソ2・3-6)。

「その愛」によって、私たちをもっといつくしみ深いものにしてくださいますように。