カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年間第20主日 マタイ 15・21-28

2020.12.16 (日)
すべての民はあなたをたたえ(詩篇67)

移住・移動が広がっているこの世界
 1997年2月、アルゼンチンから最終的に帰国をしました。その時、たくさんのラテンアメリカ人、特にブラジル人とペルー人に会いました。彼らが、九州地方や静岡県に多く住んでいることに驚きました。そして、そのとき、1985年に初めてアルゼンチンからイタリアへ行った時、ローマのテルミニ駅の前にある「み心のイエスのサレジオ教会」で、フィリピン人たちの大きいグループに出会ったことを思い出しました。

 私たちは人類が常に移動していることを知っています。たとえば、この地球の裏側にあるアルゼンチンにも、1800年の終わりごろ、たくさんの移民グループが受け入れられました。イタリア人、スペイン人、ドイツ人、その他のヨーロッパや中東の国からも。第一次世界大戦後には、アジアからの移民も受け入れるようになりました。韓国人、日本人、そして近隣の国のパラグアイ、ボリビアからの人々の共同体が数多くあります。

 しかし、2013年に教皇フランシスコがランペドゥーサ島を訪問された時、ヨーロッパだけでなく、必要があれば他のところからも難民と移住者を受け入れるように、と呼びかけられました。この移住の動きは、世界的に、経済的、民族的、そして気候といった様々な要因のために更に増えています。

 日本は様々な国に移民を送り出しました。同時に外国の人をも、受け入れています。移民の子どもたちや孫の世代は日系人と言われています。彼らは日本に仕事を探すため、または子どもたちのために将来を日本に求めて来ています。今、日本はさらなる経済的な発展のためには労働力が必要です。ですから、様々な大陸から人の受け入れを続けているのです。
 司教として、さいたま教区内の4つの県を訪問している時、埼玉、群馬、茨城、栃木に広がっている小教区が、外国籍の人々にとって開かれた共同体であることに気づき、嬉しく思っています。とても国際的です。フィリピン人、ベトナム人、ラテンアメリカ人(ブラジル、ペルー、ボリビア、パラグアイなど)、アジアからのグループ(インドネシア、スリランカなど)、そしてヨーロッパや中東からの人たちがいます。

み言葉からの呼びかけ
 移住や移動は多くの要因で益々この地球上に広がっています。外国の人が来ることは、様々な面で豊かになることですが、同時に、特定のグループや人たちからの拒否や憎しみ(外国人恐怖症)があります。他の人種や、他の宗教に対する憎しみは今すぐに止めなければなりません。もっと普遍的で兄弟的な経験を生み出し、積み上げていくことが必要です。そうすることによって、人々が尊厳と使命を持ち、神の子であることを認められるように。
 教会は、母として、また教師として、大切な使命を持っています。それは人々がもっと広い視野を持つための普遍的な見方を促すことです。今日の典礼は、信仰者が聖書からインスピレーションを受け、違いに対する尊敬と責任を担うようにと勧めています。

わたしは異邦人の子らを聖なるわたしの山に導こう(イザヤ56・1、6-7)
 イザヤの弟子たちは追放から戻り(紀元前6世紀)、7世紀の預言者たちの教えに立ち返り、新しく建設しようとするイスラエルが普遍的価値感とエキュメニカルなものとなるように強く提案しました。「開かれる」ということは、ただ外交官的な努力だけでは十分ではありません。簡単なことではなく、且つ妄想でもなく、忍耐強さが必要です。「普遍的な正義」を育てることを基本にして開かれていかなければなりません。
 そのような意味で、イザヤ書の第3部は、あの時代の全ての宗教が、エルサレムのリーダーシップの唯一の旗の下に集まることを提案しているのではありません。そうではなくて、この50年間の追放から生まれた民は、新しいイスラエルを構成する様々な民族を、より正当な望みを持って統一することを提案しているのです。なぜなら、神は分け隔てなく、すべての人に救いの恵みをくださるからです。このように、旧約時代には、神が、ご自分の地であるイスラエル(神の民)に外国の人を迎え入れるのです。ご自分の腕をひろげて迎え入れるのです。イザヤの預言によると、神の救いは全ての民に与えられます。すなわち、救いはユダヤ人のためだけではない、と理解することができます。
 この観点から、詩篇を謳っている人は、「すべての民はあなたをたたえ」と宣言するようにと私たちを招いています。

神はすべての人を憐れむ(ローマ11・29-32)
 パウロは、ローマ人への手紙の中で、「すべての人とすべての民は神のいつくしみを受ける」と述べています。パウロは救いの普遍的ヴィジョンに関してのキーパーソンです。聖霊の促しによって、パウロは地中海を旅しながら、福音(キリスト教)の扉を、ユダヤ人を超えて異邦人にも開きました。行く先々に共同体を設立することによって。

婦人よ、あなたの信仰は立派だ(マタイ15・21-28)
 外国人に対して開かれた新しい道、誰をも排除しないで受け入れること、それはナザレのイエスの「神の国」の姿です。イエスを主として受け入れ、そして弟子として従う人は全ての人の中に神の現存を認め、そして全ての人間を兄弟として受け入れるように招かれています。ですから、キリスト者が外国人に対して怖がったり、嫌うことはありえないのです。人を阻害して、国籍や社会的地位で人と人を隔てさせるメカニズムを打ち壊すよう戦い続けなければなりません。

祈りながら終わりましょう
 様々な国から来て、日本で働き、生活し、子どもを育てる、多くの兄弟姉妹の信仰と宗教的な価値観を、イエスのように見出すことができますように。 祈りましょう。

 子どもたちに、良い市民として社会ルールを守ることを、そして、移住者や移動する人々を温かく受け入れる、日本社会に対する感謝の気持ちを、伝えることができますように。所属している共同体の中で、いつも助け合う姿勢を子どもたちに伝えることができますように。主に祈りましょう。

 現代社会のリーダーが教皇フランシスコとひとつになって、人種や文化の対立を乗り越えて、もっと人間らしく互いに結ばれた世界を築くことができますように。主に祈りましょう。