カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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聖木曜日 主の晩さんの夕べのミサ

2020.12.9 (木)
新型コロナウィルスが発生する前には、今年の聖香油のミサは、聖水曜日に、茨城の水戸教会で捧げる予定でありましたが、延期されました。今は、ただ、一日でも早く、このウイルス禍が終息し、できるだけたくさんの司祭、助祭、修道者、そして信徒の方々が参加できるような時の到来を待ち望みたいと思います。そして、わたくしは、この前の日曜日の受難の主日のミサに続いて、この聖なる三日間と復活祭のミサも司教館で捧げながら、皆さんに短いメッセージを贈りたいと思います。

 聖木曜日に朗読されるヨハネの福音の箇所について、わたくしも小神学生の時から、不思議に思っていることがあったのです。主の最後の晩餐でエウカリスティアが制定されたのに、どうしてその箇所が朗読されなくて、イエス様が弟子の足を洗ったことが強調されたのですかと。父や神父様方に尋ねたことがありましたが、なかなか納得する答えをいただけませんでした。

わたくしは今年の聖週間も去年と同じように、教皇ベネディクト16世が書かれたナザレのイエスの本を使いながら黙想しているのですが、このことについて書かれた箇所を読んだとき、わたくしははたと納得させさせられたのです。ヨハネ福音書が書かれた時の教会共同体ではすでにミサを祝うのはもう当たり前のことになっていて、むしろ、主の死と復活を記念することが強調されていたのであろう、おそらく、ヨハネ福音書もそれを知っていたので、もう少し何かミサを祝うための姿勢、行動が必要だと思って、このイエス様が弟子たちの足を洗った場面を取り上げ、「あなたたちも私がしたようにしなければいけません」ということを伝えたのではないかと。つまり、もしかしたら、ヨハネの共同体では、すでにミサを典礼的にはきちんと祝っていたのですが、やはり、私たちはもっと人間関係を大切にしなければならないのではないか、私たちは病人や貧しい人たちの奉仕者でなければいけない、しもべでなければいけない、というところをもっと真剣に考えて、ミサを祝わなければいけないのではないかと考えたのではないでしょうか。

私たちはミサに与った時には、このような姿勢と行動の決心を持って、社会に出向いていかなければならないということでしょう。おそらくこの最後の晩餐の時にイエス様が弟子たち、そして、私たちに求めておられるのは、私たちが愛のおきてをキリスト者として貴重なしるし、証しとするようにということ。だから、エウカリスティアに行くときも、このような姿勢、行動をもって、もっと奉仕者になれるようにと。祈ることももちろん大事ですけれど、本当の奉仕者、イエス様のようなしもべの姿勢、謙虚な心をもって、人々に仕える者であるようにというメッセージを今日も深く心に留めたいと思います。
それぞれの場所で祈ってくださっている皆さんとご一緒に。