カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年間第17主日 マタイ 13・44-52

2020.12.26 (日)
ソロモン王:私の最初のイメージ 
 小学校に入った時、両親はわたくしに2冊の日本語の聖書物語をくれました。旧約聖書と新約聖書の2冊で、そこには白黒の絵がありました。3年後、わたくしは11歳でアルゼンチンへ渡りました。その聖なる歴史の一部を読んでいた時、母はわたくしにその物語は面白いかと訊きました。「はい」と答えました。そう答えれば褒められると思っていましたから。そして、面白くて笑ったとも言いました。すると母は、このように教えてくれました。「面白いとは興味深いということですか。興味深いとは笑わせることではなくて、ある人たちの歴史が私たちの記憶に残り、更に、もっと読み続けたいと思わせることです。」と。母のこの言葉はわたくしの中に今も残っています。

 それは、ちょうどソロモン王についてのひとつ目のエピソードが終わったところでした。2人の母親がそれぞれの赤ちゃんと寝ていると、1人の赤ちゃんが死にました。どちらの母親も、生きているのは自分の子どもだと言い張ったのです。ソロモン王は見事にその問題を解決したお話でした(列王記上3・16–28)。
 その後、神学生になった時に、わたくしはこの王についての様々な研究資料を読みました。その1つは、紀元前960年にソロモン王が建てた最初のエルサレムの神殿ついての最近の発掘調査に関するものでした。
 皆さんもソロモン王について、よくご存知ではないかと思いますが、わたくしなりに、その人生のまとめと、彼の働きが、神の民の歴史に与えたものを紹介します。これが皆さんの聖書的な知識を広げる助けになればと思います。

イスラエルの王としてのソロモンの働き
 ソロモンは紀元前970年から931年にかけてイスラエルの王でした。ダビデ王とバト・シェバの間に生まれた子ソロモンはヘブライ人の王として油注がれ、様々な義務について教えられました。実はイスラエルの王として、それを求めていたのは義理の兄であったアドニアでした。兄にとっては、父ダビデがそのようにソロモンを育てたことが仇となったのです。ダビデ王が亡くなった時、ソロモンは、母親と預言者ナタン、ベナヤと大祭司ツァドクの支援によって、政治的な敵を排除できたとあります。このようにして、ソロモン王の長い統治時代が始まりました。その時代の特徴は、平和と、エジプト、アラビヤ、フェニキア、エドムとダマスコなどの近隣の土地との良い関係で、国は経済的、文化的に大きな発展を遂げたのです。
 国内の安全と流通ルートのコントロールは、ヘブライ人の商売を発展させました。特に、シリアからエジプトに馬を運ぶ商売があります。その上、ソロモンは船を造らせ、エラトの近くにあるエツヨン・ゲベル港を拠点にして貿易を発展させました。エジプトのファラオの娘と結婚し、また、ティルスの町の王であるイラン1世との友情を深めることによって、イスラエルの政治的力を固めていきました。
 ソロモンは、経済的繁栄を基に、ダビデが計画していた大神殿をエルサレムに建造し、ダビデが守ろうとした契約の箱を神殿に運びました。神殿の建設の目的はそれでした。これらの建設には多くの外国からの技術者が参加し、豪華な王宮を建てることが可能になったのです。ティルスからの佐官やブロンズを扱う職人、そしてゲバルからの大工が集められ、フェニキアから豪華な素材が輸入されました。
 これらの多くの公的な計画や宮中の費用は国民の重い税金で賄われていました。そのために、財政の立て直しとして、土地の肥沃度、そこから出る物の生産力、そして交通の便の良し悪しによって、国内を12区に分けたのです。
 ソロモンの人生の終わり頃、経済面でのプレッシャーと、外から来た神々への宗教(アシェラ、ミルコム、ケモシュ、モレク)の広がりが彼を悩ませます。それらの宗教のために、外国からの12部族の中の10部族が立ち上がって反乱を起こしました。ユダとベニヤミンは例外でした。その後、国は2つの王国に分裂し、北が首都をシケムとするイスラエル、そして南がユダでエルサレムを首都としました(紀元前929年)。後にそれぞれが独立し、敵対している時もありながら存続していきました。
 ソロモン王の女性たちの多くはヘブライ人ではなく、異邦の習慣を持っていました。ソロモンはその女性たちに何でも許していたので、それを厳しく非難して、イスラエルが2つに分かれたことも、偶像崇拝による神からの罰と思われていました。しかし、宗教的伝統ではソロモン王の姿は理想的な王として伝えられています。大きな知恵を持ち、判断力と正義の人のモデルとして聖書のいくつかの箇所に現れています。例えばソロモンの有名な裁判の話や、南のシバの女王の訪問などがあります。
 旧約聖書のいくつかの知恵文学の書は、ソロモンが著者だとして伝えられています。 雅歌、知恵の書、箴言、コヘレトの言葉、ソロモンの詩編。 あるものはソロモンの時代の後に書かれたものと思われています。

3つの短い神の国のたとえ話:隠されている宝、真珠、魚がかかった網
 イエスの最初の2つのたとえ話は、同じメッセージを伝えています。物語では、両方とも、主人公が価値ある宝を発見するのですが、宝を見つけた人はそれを探してはいませんでした。探していないものを見つけたのです。その替わり、真珠を探していた人は想像もしていなかったものを見つけました。両方とも同じように反応します。喜んで自分が持っていた物を売る、そして、宝、真珠を自分のものにします。イエスによると、神の国を発見した人たちはこのように反応するということです。
 イエスの恐れや心配は、人々が様々な興味ある物や事のために彼に従っていること、最も魅力あるもの、重要なものを発見しないで、中途半端な興味のために従うことでした。重要なものとは、天の父の熱情的なプロジェクトのことです。人を惹きつける、これに掛けてもいいと思えること、燃え上がらせる、魅力的なプロジェクトとは、人類をもっと正義に導き、世界を兄弟的で幸せな地にすること。神においての最終的な救いに導くために。
 私たちが知っているイエスの生涯の情熱は、父のプロジェクトの完成、すなわち神の国とその義を求め、人を人間らしくすることでした。教会は、神の国の宝を発見せずに、根本から刷新することはできません。この世界をもっと人間らしくするためのプロジェクト。クリスチャンと呼ばれ、それに協力することと、福音の本当の核になるものを忘れさせて、様々な行事や習慣に執着して生きることは違うのです。
 教皇フランシスコは 神の国が私たちを求めていると言っています。その叫びは福音の心から出ています。その叫びを聞くことが大切です。今日私たちの共同体が決断しなければならない重要なこととは、神の国のプロジェクトを喜びと熱意を持って取り戻すことなのです。

 最後に伝えたいことは、私たちは「自分が努力したから神の国に入れる」のではなく、神の国は私たちに差し出された恵みであり、そこに私たちの返事が伴っているのです。それを見つけた幸いな人たちには、一生涯をかけての働き、勤めがあります。それは、御国のために全てをかけていくこと。それを発見した人にとって、御国は唯一で、イエスの弟子としていただける最高の価値あるものになります。