カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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復活の主日

2020.12.12 (日)
皆さん、主のご復活おめでとうございます。今年の復活祭のメッセージは、浦和の司教館の小さなチャペルから送りたいと思います。

復活の主日の第一朗読、「使徒たちの宣教」の中で、ペトロは使徒たちの代表として、このように述べています。“わたしたちは復活されたイエスの証人であります。つまり、イエスがガリラヤから始まり、ユダヤ全土に福音宣教を行い、そこでなさったことを、また十字架上で亡くなり、復活されたイエスを皆さんに伝え、彼の証人と私たちはなりたい”と。そして、イエスがガリラヤ、またユダヤ全土でおこなったことについて、強調しています。“悪魔に苦しめられている人たちをすべて癒されました。わたしたちもイエスの友人とイエス様から呼ばれています。なぜなら、復活されたイエス様が私たちと共にいることを信じているからです。”と。

 この小さな聖堂の壁には、この復活節の間、私の初聖体を準備してくださった先生から頂いた掛け軸が掛けてあります。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。」(ヨハネ11・25‐26)。イエス様がエルサレムにいた時、ベタニアでラザロが亡くなったと聞き、ラザロの家に行かれた時の出来事も皆さんはよくご存じでしょう。迎えに行ったマルタが、次のようにイエス様に言ったのでした。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。(ヨハネ11・17‐24)。その時にイエス様がこの言葉を語ったのです。

 神様はいるのか、いないのか、いや、いないのではないかと疑いたくなるようなこの厳しい状況の中で、私たちはどのようにして復活したイエス様の証人となれるのか、私たちが願うならば神様がイエス様を通してかなえてくださることを信じることができるのでしょうか。皆様のご家族の中にも、色々な問題があると思います。願っても、祈っても、神様が沈黙で無視しているような感じがする時もあると思います。わたくしもそういう時を何度も体験しました。そんな時に、大事な、大事な道具の一つは、祈ること。祈りです。神が視えないとき、神様が聞いてくれないかなと思った時こそ、私たちの信仰に火が灯る、この灯火が消えないようにするのは、祈りです。長い言葉でなく、一言でも、そして、今いる場所に留まって、“神様、助けてください、わたくしはこういう者です。わたくしの力だけではもう何もできません。”と祈るのです。そういう時に私たちの信仰が生かされ、本当にイエス様が私と共におられることを体験する、イエス様が私たちのそばにいて、私たちを決してお見捨てにならないということを証しすることができると思います。

復活節に入っても、共同体として共に祈り、共にミサを捧げることはできません。どうか、個人で祈る時、心を込めて祈り、私たちの信仰を強めていきましょう。このパンデミックの状況の中で、神様が私たちに求めていることは、おそらくそれではないでしょうか。希望がもうないように思える時こそ、祈り続ける。神様の助けがないと感じた時にも、祈り続ける。それこそ、私たちの信仰にとっての試練の時、戦いの時であると思います。同じように、イエス様が受難の道を歩み、復活されたことを私たちが深く悟られますように、わたくしも皆様お一人おひとりのため、また、さいたま教区のために祈り続けたいと思います。

 どうか皆様も、この復活節の間、司教と共に祈り続けてください。よろしくお願いいたします。