カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年間第28主日 マタイ 22・1-14

2020.12.11 (日)
イエスと教皇フランシスコは、みんなが兄弟になるように私たちを招いている

 大きなニュースです。カトリックの人だけでなく、様々な言葉、文化、そして宗教の人々、男性女性、全ての人にとっての大きなニュースです。今よりもっと良い世界をイメージし、築こうとしている人々にとって、私たちの地球が人類のための共通の家でありますように。みんなの強く、善い意思と、やる気と努力(連帯)で、それが可能であることを信じて。この目的を達成するための唯一の道は、みんながお互いに兄弟姉妹であると感じること。10月3日、教皇フランシスコがイタリアのアッシジで、新しい回勅”Fratelli tutti”(皆、兄弟なのです)にサインをされました。

 今日の説教では、み言葉からの短い解説をします。そして、教皇フランシスコの第三の回勅、”Fratelli tutti”(皆、兄弟なのです)について紹介し、コメントをします。

主は我らの牧者、わたしは乏しいことがない(詩編23)
 150の詩篇の中で、わたくしが一番好きな詩篇。33年間のアルゼンチン生活の中で、羊飼いが羊の世話をしているところを何度も見ました。たしかに、他にも親しみある詩篇はありますが、この詩篇は、オズヴァルド・カッテーナ神父が1970年代に作曲した音楽で、学生時代、中学生から今に至るまで、一番多く歌ってきた詩編です。この詩編を歌っていますと、良い羊飼いであるイエスの姿が浮かんできます。それは、自分が生きている現実を位置づけるための助けになります。そして、さいたま教区の司教として委ねられたミッションの助けにもなっています。

よい羊飼いであるイエスが、私たちを大きな祝宴に招いてくださっている。
 ガリラヤの農民たちが結婚式を祝う時、どのようにそれを楽しんでいたかをイエスはよくご存知でした。イエスご自身も、その1つに参加しました。その体験より喜ばしいものがあったでしょうか。結婚式に招かれて席について、隣の人たちと共に祝うこと、それ以上の喜びがあったでしょうか。
 子ども時代の思い出は、その後のイエスにとって、神の体験を新しく、そして驚きをもって伝えるための助けになったでしょうか。イエスは「神は最後の祝宴を、すべての子どものために用意されている。すべての人がこの祝宴に座し、命の喜びを永遠に楽しむことができるように」と言われます。
 イエスの生涯は、神の名によって、すべての人々をこの最後の祝宴へ招くためでした。しかし、イエスは現実的でした。この、神の招きが拒否される可能性を知っていました。祝宴の招きのたとえ話では、招かれた人たちの様々な反応について語られています。ある人たちは意識的にはっきりと断る、「わたしたちは行きたくない」と。招きを無視した人々、他の人たちは無関心で応えました。自分たちの畑や、商売の方が大事だったのでした。  
 しかし、神はがっかりすることは無かった。そういう返事にもかかわらず、最後の祝宴はあります。神の望みは祝宴の部屋が客でいっぱいになること。ですから、交差点へ行きます。そこには目的なく、ぶらぶらする人たち、希望や将来のない人たちがいます。
 ここに教会に対するイエスの呼びかけがあります。信仰と喜びを持って、イエスが福音で示している神の招きを宣言し、特に、サマリア人のように貧しい人や社会で疎外されている人を受け入れ、助けるようにと。
 
教皇フランシスコは新しい第三の回勅で、5年前に第二の回勅「ラウダト・シ」で示した方針を引き継ぎ、すべての人を招いています。それは、イエスの良い知らせを世界に、特にキリスト者に伝えるように、という招きです。イエスとイエスの福音が、もっと兄弟愛的で、もっと人類愛に満ちた世界を築く唯一の力なのです。

教皇フランシスコの第三の回勅“Fratelli tutti” (皆、兄弟なのです)を紹介します。初めての紹介です。
 教皇フランシスコは、去る10月3日、イタリアのアッシジにあるフランシスコの墓の前でミサを終えた後この回勅にサインしました。
 第一の回勅は”Lumen fidei”(信仰の光)と言います。信仰年のカトリック神学の視点から、信仰について述べられました(2013年7月5日)。
 第二の回勅は”Laudato si”(主は讃えられますように)と言います。この回勅は、環境と、その開発の目指すべき方向性についての呼びかけでした(2015年5月24日)。
 第3の回勅は“Fratelli tutti”(皆、兄弟なのです)の名で呼ばれ、兄弟愛と社会的友情について語られています。

回勅の規模とパンデミックのただ中でのサイン
 回勅はスペイン語で書かれていますが、タイトルはイタリア語です。約43,000の言葉、注釈が288個あります。従って、1日で読むものではありません。休憩をとりながら読むことになります。タイトルから最後まで読まなければなりません。大切なことは、この回勅には、以前に教皇が述べられた内容が多く含まれているということです。組織的に、再度構成されたものとしても考えられ、この7年間を通しての教皇フランシスコのすべての回勅、説教やスピーチ、あるいは教皇職を通して宣言したもの、が取り入れられています。
 今回はじめて、教皇の回勅がローマの外でサインされました。パンデミック宣言の後、教皇フランシスコがローマから出られて、最初に行った場所がアッシジでした。教皇としての訪問は、これで4度目になります。

この回勅を書くために、教皇は何に着想を得たのか
“Fratelli tutti” の中で教皇は言われています。この回勅の着想には、2019年2月、アブダビでのGran Imán Ahmad al Tayyeb(アフメド・タイブ師:イスラム教スンニ派の最高権威機関アズハルの指導者) との出会いがあります。その時、人間的兄弟愛の文書にサインされました(Fraternidad Humana)。回勅の中で、教皇フランシスコは、アッシジのフランシスコの閃きがあったということを認めています。カトリックでない多くの人たち、マーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King)、デズモンド・トゥトゥ (Desmond Tutu)、マハトマ・ガンディ(Mahatma Gandhi)、こういう人たちからもインスピレーションを与えられたと述べておられます。
 題名はアッシジのフランシスコの書物”Admoniciones”( 訓戒)からのインスピレーションによるとのことです。フランシスコはこの言葉を兄弟姉妹に向けて使っていました。彼らに福音の味を持つ生き方を提案しています。”El Poverello”(貧しい人)は、教えを理論的に押し付けるのではなく、「神の愛」を伝えていました。それによって、兄弟愛的社会への夢を目覚めさせた、「肥沃の父」と言えます。
 次の日曜日の説教の中で、教皇フランシスコの第三の回勅の説明を続けます。教皇様の意向のために祈りましょう。

祈り
 すべての人々のため:プロフェッショナルとしての活動、喜びと夢を持って人類のために働くことができますように。祈りましょう。

 ・私たちの父である神よ、あなたの恵みとあなたの光が常に私たちを導き、それによって、正義と愛を持って行動することができますように、私たちの間に留まってください。そして、人々の中、特に貧しい人と社会から疎外されている人々の中に、あなたの現存を見いだすことができますように。
私たちの主、イエスキリストによって。アーメン。