カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年間第20主日 ルカ 12・49-3

2022.12.14 (日)
兄弟姉妹のみなさん、
 明日は聖母の被昇天のお祝いです。そしてまた、終戦を記念しますが、日本の教会では、8月6日の「主の変容」の祝日で始まった「平和のための祈りの10日間」が終了します。
 今日の説教では、イエスとエレミヤが平和について話していること、すなわち、神の平和の賜物について話したことによって、彼に何が起きたのかに触れたいと思います。

第一朗読(エレミヤ38・4-6、8−10):エレミヤは穴の底に放り込まれた
 エレミヤのこのエピソードは、神が啓示されたことを忠実に伝えようとした預言者が被る苦しみを伝えてくれています。自分の民が破壊から救われるように注意したことが要因になっています。しかし、残念ながら、責任者たちは彼の言葉を受け入れませんでした。あの当時のリーダーたちと偽の預言者たちが持っていた政治的ビジョンは、神に選ばれた民としての傲慢によって曲げられています。エジプトではなく、バビロンに従うことが唯一の救いの道であることを受け入れることができませんでした。あるいは、一番難しい時に、神は天からの軍を送ってイスラエルのために戦うであろうと信じていました。
提案したことが責任者たちから全面的に拒否されたことを見てエレミヤは、神殿、ダビデ王朝とエルサレムの町が破壊される、ナタンや他の預言者がダビデと首都であるエルサレム、ソロモンが建てた神殿、その全てが終わりを迎える、何も残らず、すべてが瓦礫になる、と預言しました。
 エレミヤは、聞き入れられないと知りながら、神が啓示されたものを確実に宣言しなければなりませんでした。民が全て滅ぼされてしまうことから救うために、最後の試みをしなければなりませんでした。リーダーたちにはエレミヤの政治的ビジョンがなかった、と言えます。彼らはバビロン帝国の敵であるエジプト人に信頼を置いていました。しかし、実際には、彼らはバビロンがエルサレムを占領した時助けに来ませんでした。偽預言者たちは、神がその民の人々に天からの軍を送って、バビロン軍を破壊してくれると信じさせたのです。
このようにエレミヤが宣言したことは彼らの間にお互いの分裂を起こしました。政治的に高い地位の人たちの中にも反対者と味方が現れました。王がその時々に吹く政治的な風に流されていました。しかし、神の言葉、その預言者の言葉は、風のように方向を変えるものではなく、しっかり安定した言葉です。信仰を求め、考えと行動を変えることを求め、聞く人に全面的な決断を求めるものでした。

 このエレミヤ預言者の人生のエピソードは、「エレミヤの受難」と言っています。なぜなら、打たれること、嘲りを受けること、告発、そして泥の溜池に閉じ込められたこと、それらは神の言葉を告げた結果でした。

 答唱詩篇(詩篇40)「主よ、助けに来てください。」は、エレミヤの叫び、エレミヤが世界平和と義のために働いて、苦しんでいる叫びを表しています。それはまた、政治家や権力者によって苦しんでいるエレミヤの叫びです。

福音(ルカ12・49−53):イエスのように平和のために働く人たち
 そして、イエスについて何を言うことができるでしょうか。イエスは、今日福音書で読まれたことを実際に教えました。多くの場合、イエスの教えと言葉は美しくみえます。弱い人や小さきものに対する言葉、温かい言葉。愛と気遣いに満ちています。メッセージは、大きな平和と、人間同士の調和について。それは、イエスの誕生の時に天使たちが宣言していますし(ルカ2・14)、復活されたイエスが、恐れている弟子たちに対しても同じことを宣言しています(ルカ24・36)。
 しかし、この箇所では、イエスは逆のことを言っているように思われます。彼のメッセージは平和と一致をもたらすのではなく、分裂を、同じ家族の中で、親と子ども、嫁と姑の分裂をもたらすために来たとまでおっしゃっています。
 イエスのメッセージは、一般のメッセージ、提案でなくて、彼のことばには神の国が実現されてます。ではない。ただの提案ではありません。それはご自分の言葉、仕草、奇跡と行動によっての神の国の現存そのものなのです。御国の良い知らせを聞いたなら、それに対して無関心でいられないはずです。イエスに熱狂的になっているにもかかわらず、今までの生活を続けることはできません。ですから、決断するなら、情熱をもって実際の生活を変化させます。その結果、深いところで影響があります。最も尊重されるはずの家族関係を超えてまでも。イエスの厳しい言葉は身近な弟子たちにとっても躓きになりました。自分の家族よりイエスを優先しなければ、イエスの弟子にはなれない(ルカ14・26)と言われたのですから。
最後にイエスご自身が、その宣教と奇跡の結果に苦しむことになります。受難に苦しみ、最後は神の民のリーダーたちに拒絶され、ローマ軍の力に引き渡され、十字架につけられ命を奪われました。

終わりに
 この説教を、コンベンツァル・フランシスコ会の司祭・マキシミリアノ・コルベ神父を思い出しながら終わります。彼は、日本で6年間働いた後ポーランドに戻り、アウシュビッツの強制収容所で殉教しました。強制収容所から10人が逃げたため、10人が見せしめに死ななければなりませんでした。コルベ神父はその中の一人の身代りを申し出ました。しかし、看守はコルベ神父がなかなか死なないのを見てフェノールを注射しました。亡くなった場所、その暗い独房の中で、この大戦の殉教者を証しするランプが今も燃えて続けています。

聖母マリアの取り次を願いましょう。
私たちがキリストの平和の証し人となれますように。
私たちが日本でこの平和の祈りの十日間を過ごしたように。
平和の女王であるマリア、私たちのためにお祈りください。