カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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聖土曜日 

2022.12.16 (土)
復活されたキリストの証人として私たちの共同体を築きましょう

兄弟姉妹のみなさん、
 聖週間の黙想の中で、聖なる土曜日については皆さまにあまり話していません。しかし、今年は、イエズス会のカルロ・マリア・マルティーニ枢機卿(1829−2021)が書かれ、2001年に公開された司牧書簡「聖土曜日の聖母」によって、この日の大切さを再発見しました。マルティーニ枢機卿はその手紙の中で、「聖母の助けを得ながら、現在、教会はどんな状況下で生きているか、これからどのように生きて行けるかについて黙想し、復活されたイエスに出会うように」と勧めておられます。そこで、私も聖土曜日の今日、その勧めに従って、日本の教会、特に、さいたま教区の状況に目を向けて考えてみたいと思います。
 確かに、私たちキリスト者にとって、「聖土曜日」は特別の土曜日です。それは、死と復活の間にある、苦しみ、期待と希望に満ちた時、そして、大いなる沈黙の時でもあります。最初の弟子たちにとっては、涙のうちに過ごした時、イエスの痛ましい死を心に刻み、メシアニズム的な夢の終わりを痛感した時だったことでしょう。
 これに対して、マリアは、涙のうちに過ごしますが、同時に、信仰の力で弟子たちの弱々しい希望を支えました。ですから、聖土曜日について、使徒たちが、特にマリアが、どのように生きたかを黙想することには大きな意味があります。それは、新型コロナウイルスのパンデミックやウクライナへのロシアの侵攻などに苦しむ今の私たちにとって、生きるための助けになるに違いありません。

今日の日本の教会:高齢者(信徒も司祭も)が多くなった共同体
 ある意味、日本の教会は聖土曜日的状況を生きているのではないでしょうか。なぜなら、教会共同体はますます“歳をとっている”ことを感じます。教会の奉仕の仕事も中心になっているのは多くの教会では70才を超えた方たち、交代するはずの若い世代の人たちは未だ働き盛り、教会の活動に参加したくても思うようにはできない、小さい子供たちは多くても、中学生になると受験や部活のためにめっきり教会に姿を見せなくなります。そして、信徒の数もなかなか増えません。しかし、そんな中にあっても、新型コロナ・ウイルスのパンデミックという大きな制約の中でも、リモートによる養成講座やミサのヴィデオ配信など、新しい試みがなされるようになっていることは私の大きな喜びです。
司祭たちの多くも高齢であることを嘆いています。司祭の召命もほとんどなく、司祭が常駐していない小教区の数は多くあります。多くの司祭は、日曜毎に2つ、あるいはそれ以上の教会の司牧をしているのです。ミサに来る人の減少によって、教会の建物の維持や活動の費用をいつまで維持することができるかという問題もあります。

多文化共生の教会を目指して歩んできたさいたま教区
 私たちの教区は、日本の中でも、特に、外国籍の信徒により、人数的には豊になっている教区です。私たちの教区では、30年ほど前、急増した移動移住者を迎えることになった時、教区国際交流センター(通称:オープンハウス)を開設、移住移動者たちが遭遇する様々な問題解決の手助けを始めると共に、定着した外国籍信徒グループの司牧のためにリーダーの養成に努めてきました。そして、母国語のミサにも定期的に与れるようにと沢山の外国語ミサの機会が設けられてきましたが、そのことによって、多くの移動移住者は教会に来るようになり、教会は出会いの場になりました。30年を経た今、その方たちは、主にミサ献金によって、共同体の財政を支える大きな力となっています。その方たちなしでは、今の教会は成り立たないと思っています。
 
聖土曜日に相応しい挑戦
 この2年間、私たちの教区では新型コロナ・ウイルスと共存することを学びました。初めの数ヶ月間は、主日のミサの公開だけでなく、ほとんどすべての活動が休止となりました。その後、人数制限をしながら、ミサや他の秘蹟を再開しました。併行して、さいたま教区のすべての小教区で外国語のミサを休止にして、ミサは思い切って全て日本語で行っていただくよう決めました。その理由は、新型コロナウイルスのパンデミックというこの状況は、共同体の一致を図る思いがけない恵みの時、よいきっかけではないかと気づいたからでした。突然の半ば強制的なお願いでしたが、それによって、各言語グループの人たちが同じミサに参加するようになり、そのミサに日本語以外の言語の朗読や、共同祈願が読まれるようになり、まだまだ不十分ですが、共同体の一致へ向けての歩みは始めることができたと皆様のご協力に感謝しています。

教皇様の勧め
 教皇様も昨年の世界難民移住移動者の日に「小教区の教会への帰属意識をもう一歩広げるように」とおっしゃいました。その言葉に照らされて、この機会に、この多文化共生の共同体作りの歩みをさらに進めていきたいと考えています。
さいたま教区では、これまで、外国籍信徒のためを考え、可能な限り、教会の大小を問わず、可能な限り、外国語のミサの提供に努めてきましたが、その負の面としては、外国語のミサへの日本人の参加はほとんどなく、反対に、日本語ミサへの外国籍信徒の参加は期待したほどには進みませんでした。つまり、「共同体の一致」という小教区共同体が一番大切にすべきことが実現できなくなっていました。
しかし、パンデミックに遭遇したおかげで、教皇様の手紙によって、これまで行ってきた外国語のミサが、実は、大切な共同体の一致を妨げていることに私は気づきました。すなわち、彼らの多くは自分の言語のミサにしか参加せず、日本人のミサに参加する必要を感じなくなりました。車で他の小教区に移動して、自分の言語ミサに参加することが習慣になっている人たちもいました。このように長い年月によってそれが当たり前になり、そのプロセスを分析すると、残念ながら僅かな人しか日本人とのミサに参加する必要を感じていませんでした。

深い意味合いのある時の出会いと秘蹟を生きる生き方を強化する
 独自の言語のミサ、さまざまなミサを全部止めることは解決ではないと思います。司祭の不足の今、私たちが工夫をして、言語の違いを超えて「共同体のミサ」に参加することこそ、主が招いておられるのではないでしょうか。一年を通して、深い意味合いの時に、例えば、四旬節、待降節やゆるしの秘跡の自分の言語で与りたいとき、自分の言葉での霊的な糧を得られるように外国語のミサを用意すること、それを提案したいと思います。

 このように復活から聖霊降臨に導かれます。さまざまな言語や文化の兄弟姉妹で豊かになった、一つの共同体。小教区の中心のミサにいつも参加する人々がいて、一年を通して特別な時もあり、他の文化的グループにも開かれている共同体であるように願いましょう。

 最後に、皆さんお一人お一人が、共同体の聖母マリアのように、復活されたイエスの現存に開かれ、すなわち、日常生活の中で復活されたイエスの証人となり、共同体の建設者となってくださるようにと願います。この復活節の期間に、私たちの共同体それぞれが、新たな挑戦、特に教皇フランシスコが提案されているシノダリティ(共に歩む)の道を発見することができますように。