カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年間第3主日 ルカ 1・1-4;4・14-21

2022.12.23 (日)
兄弟姉妹のみなさん
 今日、教会は神のことばの主日をお祝いしています。
朗読されたルカ福音書の箇所はそれにとても相応しい箇所が選ばれていました。すなわち、
「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった。『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』」(ルカ4・16−19)
 そして、イエスは、そこにいる人々に向かって、
「この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4.21)
 と話されたのでした。
これをお聞きになる皆さんには何の説明も必要がないでしょう。イエスが朗読されたことばが皆さんの胸に自然に、真っすぐに届いたに違いないと思います。

 教会の伝統は、ルカが描いているこの場面を、「イエスのメシアニズムのプログラムの開始宣言」と理解しています。ですから、この箇所を繰り返し読み、その後、イエスがご自分の民の間に何を告げ知らせ、何を行われたかを辿る起点といたしましょう。

キリスト教一致祈祷週間(2022年1月18〜25日)
 私たちは、また、キリスト教一致祈祷週間の只中にあります。言うまでもなく、キリスト者同士の分裂は日本の中の多くの人にとっても大きなつまづきでしょう。何世紀も前に、イエスのメッセージを告げるため、そして、多くの民族を助けるために、さまざまなキリスト者のグループがヨーロッパから世界中へ出かけて行きました。医療や教育、人々の権利を守ることが目的でした。そのために、王や政治家や他の宗教的グループからの厳しい迫害にも耐えなければなりませんでした。そして、キリスト教会内での分裂や対立の歴史も長く続いてきました。しかし、カトリック教会は、第二バチカン公会議後、他宗教との一致・協力を目指すことと併行して、キリスト教の中での一致と協力を目指すことにはっきりと舵を切りました。力を合わせて、共に正義と世界平和のために戦い、そして、違いを乗り越えるために、聖体、司祭職、秘跡などについて深く勉強するようになりました。人類を襲っている重要な問題に共に向き合い、助け合いと交わりをもって前進しています。しかし、残念なことに、教義に関しては、互いの合意に向けての歩みは、あまり進むことができていません。
 今日のミサの共同祈願では、イエス・キリストを真の神、そして、まことの人間であることを信じている人々の一致を、特別に神に願いましょう。
 今回の第1朗読の箇所は、バビロンの追放から戻り、新たに生まれたイスラエルの民について語ってくれています(ネヘミア8・2−6、8−10)。イスラエルの民は。創造主である神だけではなく、ユダヤの民を作られた神に対する信仰を取り戻したのでした。
 そして、第二朗読は、地中海に面している人々への、偉大な福音宣教者パウロの手紙です。有名な港町であるコリントで、多くの喜びの実を結んだ一つの共同体でしたが、同時に、さまざまな問題や課題に悩みました。パウロは共同体の人々に向けて、聖霊が注いだ賜物、あるいはカリスマについて語っています。パウロはコリントの共同体の中に、さまざまな能力を持っている人たちがいる、ということに気付きます。そして、多様なものの見方をする人がいて、それが共同体を豊かにする一方で、分裂を招いていることを知り、この手紙を書いたのでしょう。この箇所が、さまざまな言語や文化で構成されている、私たちの共同体の豊かさを理解するために役立つのではないでしょうか。振り返ってみると、私たちさいたま教区の多くの共同体でも、統合して共にミサを捧げるためには、まだ時間が必要なのでしょう。共同体が言語別に分かれて、それぞれの言語でミサを捧げるのではなく、母国語の違いを超えて、みんなが一緒になって、ミサをささげるまでにはまだ時間がかかりそうですが。希望を持って進みましょう。

福音書にコメントを付け加えながら(ルカ1・1−4、4・14−21)
 ルカの4章14節から続く箇所は、50年前まではキリスト教共同体の生活にはそれほど重要とされず、忘れられていた箇所でしたが今は、とても重要と思われています。特に、ラテンアメリカで盛んとなった「解放の神学」が、イエスの宣教のことを考えるとき、この箇所を最も重要であると強調しました。「貧しい人に福音を告げ知らせるため」というイザヤ書の言葉こそ、イエスの使命だと強調したのでした。

問いかけながら終わりましょう
 解放の良い知らせを今、世界に告げることは、どのような意味を持つでしょうか。この世の中には、イエスの解放のよい知らせを待ち望んでいる人々が数えきれ二ほどあるのではないでしょうか。大きな町の極貧の周辺部に住むことを余儀なくされているたくさん人たち、地震や津波などの自然災害の結果、今も苦しんでいる人たち、そして、気候変動や戦争、あるいは独裁政権によって故郷を失い、難民となって苦しんでいる人たちなど、数え切れません。そのような世界で、解放の良い知らせを告げることはどれほど待たれていることでしょう。そして、私たちは何ができるか、正義と世界平和のために戦っている多くの人たちとどのように心を合わせ、力を合わせることができるか考え、実行することでしょう。

祈り
 私たちが熱意と喜びを持って、イエスの弟子としての使命を受け入れ、良い知らせの宣ベ伝える者になれますように。
平和な世界、和解、希望の世界の建設者となれますように。