カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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復活節第2主日(神のいつくしみの主日) ヨハネ 20・19-31

2022.12.24 (日)
兄弟姉妹のみなさん、
 ある伝説によると、この日曜日は「in Albis」とされ、復活徹夜祭の新しい受洗者が再び白い衣を着る日、と言われています。洗礼を通して、主が与えてくださった光を身につけるシンボルとして。白い衣を脱いだ時、日常生活に新しい光がさすように生きていかなければならないことを意味しています。主が燃え立たせた真理と善を守り、この世に神の光と愛を届けなければなりません。

 聖ヨハネ・パウロ2世は2000年4月30日、マリア・ファウスティーナの列聖式の際に、この日曜日を「神のいつくしみの主日」と設定しました。
ヨハネ・パウロ2世は、2つの独裁体制の中の貧困、飢餓と暴力などの現実に触れ、闇の力を深く体験しました。それらは当時、世界の脅威になりました。しかし、同じ強さで神の現存を体験し、全く違う、神のいつくしみの力で対抗しました。いつくしみが悪を終わらせます。聖性、真理と愛の力に神の特徴が現れているのです。

 ヨハネ・パウロ2世は、2005年4月2日に帰天されました。復活節第2日曜日「神のいつくしみの主日」の前夜の後に。彼は亡くなった時、いつくしみの光の中に入り、死を超えた神のところから私たちに新しい形で問いかけています。「いつくしみに信頼してください。日々、神のいつくしみの男と女に回心してください。いつくしみは洗礼の時に主が私たちに与えてくださった光の衣です。この光が消えないようにしなければなりません。この世に神の良い知らせを運ぶため、この光が日々増しますように。」(ヨハネ・パウロ2世)
「いつくしみ深い神」」は、1980年11月30日に公表され、神のいつくしみの深さ、神の本質はいつくしみであることを宣言しました。

第一朗読(使徒言行録5・12−16):ペトロの権威と信仰者の増加
 この日曜日の第一朗読は、初代の教会の始まりを語っています。そこを通る時ペトロの影が当たるように、人々は病人を広場に運び、それによって病人は癒されました。それはキリストの光からの訪れ、聖なる愛の力がそこにあったからです。
ペトロは人間としては、弱い人でした。全ての弱さを持っていました。しかし、キリストに対する燃える信仰でいっぱいの人でした。イエスに対する愛でいっぱいでした。
信仰と愛によって、キリストの癒しと一致の力がペトロの弱さと混じり合い、人々に届きます。
私たちも今日ペトロの影を探し、それによってキリストの光の中にいられますように。
 ペトロの影は、カトリック共同体によって、洗礼の日から私たちの人生を覆ってくれています。私たちの人生の最も重要な時を思い起こすことができます。特に、私の信仰の歩み、復活されたキリストを知ることにおいて。

福音書(ヨハネ20・19−31):8日目のイエスの訪れ。トマスの信仰宣言
 この日曜日のヨハネによる福音は、いつくしみと神の愛に満ちています。復活の後イエスは、閉じられていた扉を通り抜けて、弟子たちに現れました。常に、時代のための贖いの神秘がまとめられ、新たに読み取られているものがそこにあります。
 今日の福音書に、トマスと復活された主の出会いも書かれています。トマスには傷に手を触れることが許され、それによってナザレのイエスの、人間としての最も深いアイデンティティーを認めます「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハネ20・28)。
 主は永遠に傷を持って生きました。傷つけられた神。私たちに対する愛のために傷を負うことを許しました。その傷は、私たちを理解してくださっている印。私たちにたいする愛のために傷つけられることを許します。その傷は、私たちにいつくしみの確信を与えてくれます。私たちにとっての慰めです。イエスに対する信頼を与えます「わたしの主、わたしの神よ」。私たちも、彼に打たれることを受け入れなければなりません。

 神のいつくしみは、日々私たちと共にあります。それを感じるためには、心を目覚めさせていなければなりません。私たちは日々疲れを感じて傾いています。疲れの中にいたとしても、その心を開けば、神が善であることを常に確認することができるのです。小さなことにおいて、神は私たちを助け、それによって大きなことを達成するための力になっています。私たちの人生で責任が大きくなると、主はそれなりに私たちを助けてくださいます。

マリア、いつくしみの母
 神のいつくしみの母であるマリア、受肉したイエスの母に私たちを委ねましょう。この世において、神の平和の業に私たちが協力することができますように。たくさんの数えきれない愛徳によって静けさを保ち、聖母の助けによって心を新たにしましょう。

 伝統的なサルベ・レジーナの祈りで終わりましょう。少し長いのですが、忍耐を持って覚えることができます。同じように歌でも。全ての司祭は、神学校の養成期間にこの歌を学んでいました。さまざまな言語で、新たなメロディを見つけることもできます。旅をしながら、歩きながらそれを聞いてお祈りすることもできます。この説教をサルベ・レジーナで終わりましょう。

元后あわれみの母
われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子。
嘆きながら泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。
われらのために執り成す方。
あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエスを旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。
アーメン。