カトリックさいたま教区
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カトリックさいたま教区

司教メッセージ MESSAGES

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さいたま教区司教叙階メッセージ

2018/10/16(Tue)
マリオ山野内倫昭司教 S.D.B.
司教叙階: 2018年9月24日

キリストのうちにあって
一つのからだ、
一つの心となりますように。
(第三奉献文)

1.まず、はじめに、みなさまに心から感謝します。
そして、わたくしにみなさまから祝福を送ってください。

 この手紙を通して、みなさま一人ひとりにご挨拶できますことを嬉しく思います。教皇フランシスコが2013年3月13日に教皇に選ばれて、最初の挨拶の際なさったように、わたくしもみなさま一人ひとりがわたくしのために祈ってくださるようお願いし、わたくしからはみなさまに祝福をおくります。今日から、お互いのための祈りを絶えさせないようにしましょう。さいたま司教の最初の手紙として、わたくしの62年の人生を通して、命の主である神様が紡いでくださったこれまでのわたくしの歩みを分かち合いたいと思います。わたくしは旧約聖書の出エジプト記を鍵としてなぞりながら話していきます。それはわたくしにとって、人類の歴史の中に受肉された御言葉を理解するための扉でしたから。

 この物語には、33年間(1964-1997)を共に過ごしたアルゼンチンの友人や知人たちがふんだんに盛り込まれています。また、わたくしのスペイン語にはアルゼンチンの山岳地帯や平原で使われている独特の言い回しがありますが、この分かち合いを多言語の翻訳で読むみなさまにもうまく伝わりますようにと切に願っています。

2. 旅立ちによって形造られた人生
 人生には、それに意義を与え、方向づける旅立ちがあります。人生の途中、私たちは道を開き、何回も旅立ちを経験しています。わたくしの場合、最初の旅立ちは1964年のことでした。わたくしは8才半で、両親はわたくしと4人の弟たち(一番下はほんの一才半でした)を連れて、日本の裏側にあるアルゼンチンに移住することを決めたのです。第二番目の旅立ちは、1997年、一年間の予定で日本に戻ったことです。わたくしはほんの一年間のつもりで日本に帰りましたが、何と、それからずっと、今に至るまで日本にいるのです。第3番目の旅立ちがこれから始まろうとしています。サレジオ会出身の司教として、サレジオ会の枠を超えた、教会のもっと広いグラウンドに送り出されようとしているのです。恐れはありますが、神様のいつくしみに信頼しています。

2―1.最初の旅立ち:
両親と兄弟たちといっしょに(創世記12:1)
 司祭叙階は1984年12月21日に、アルゼンチンのサン・ホアンで受けました。司祭となってからの長い道のりの中で、わたくしはカルロス・メステレスによる “アブラハムとサラ”という小さな本を読みました。著者は ブラジルのカルメル会宣教師です。彼の著書を読むうちに、わたくしがなぜ移住したか、とりわけ、日本がかなり安定してきた頃であったにもかかわらず、なぜ、父が、アルゼンチンに移住するなどという無茶な冒険を企てたかということが分かってきました。すべての親戚の反対がある中、イタリア人の宣教師ドン・チェサレ・セッキだけが父に、「もしこれが神様の御旨であるなら行きなさい。そして、聖母マリアのご保護に信頼しなさい」とおっしゃったからでした。

 わたくしは、母が何回も私に打ち明けたこと、特に私たち家族が2番目に移り住んだヴィラ・メディア・アグア での暗い時期についての話を覚えています。その村からは最も高いアコンカグアの山頂を含むアンデス山脈を見ることができました。母はわたくしに話しました。「あなたのパパは信仰の厚い方ですよ。パパの内に働く神様の強い力を私は信じています。私は、あなたたちのパパがアルゼンチンで生活し、そこであなたたちを育てるという夢に信頼しています。それは、私たち家族に向けられた神様の夢でもあるのですよ。」母は何度もこのことを言いました。
父に、そんな遠い地に移住するように働きかけた信仰の核は何だったのでしょうか。それは、まさに、アブラハムがあの声を聞いた時に取った行動のようなものでした。「主はアブラハムに仰せになった。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて私が示す地に行きなさい。』」(創世記12:1)と。ですから、非常に大きなユートピア的理想をかかげて、私たちは1964年5月31日に神戸港から旅立ち、横浜、ロサンジェルスを経て、同年7月21日にブエノスアイレスの港へ到着したのでした。途中、パナマ運河やベネズエラ、ブラジル、ウルグアイなどの沿岸航路を通って行きました。

マフェキン (コルドバ. 1984-1991)
 わたくしは1984年12月21日に、サン・ホアン の司教座大聖堂で司祭叙階を受け、カテキスタとしてミゲル・ルアの修練期後の共同体に送られました。また、そこで神学を教えながら、毎週末、マフェキンという聖ヨハネ・ボスコ小教区の近隣へ通いました。当時、そこには聖堂がありませんでしたが、校長先生の配慮により、私たちは教室や学校の庭を使ってカテキズムを行い、ミサを献げました。わたくしはそこで人々の牧者であることを学びました。・・・話したい思い出はたくさんあります・・・。いろいろ聞いていただきたい話があります・・・。土曜日のオラトリオとおやつ、中庭でのミサや、そこに入りきれない時には外でミサをあげ、参加人数と場所が噛み合わない時には、臨機応変に対応しました。計画を変更して、近くの道路や個人の家の前で行列をしたことや、家の前に祭壇を作ったり。ある時には、ろばが逃げてしまった!ので、止むを得ず馬に乗って行列をしたことなど。ルルドのため、またチャペルのために、いろいろな土地の寄付がありました。また今では少なくとも35才から45才か50才になる当時の少年たちや、もう永遠の安らぎに旅立った当時の人たちの名前が浮かびます。彼らはみんなわたくしの父母であり、よい兄弟姉妹、息子や娘でした。わたくしはいつかマフェキンへ行き、数時間でも彼らと共に過ごし、神様にそこで過ごさせていただいた時を感謝し、今は永遠の安らぎについた人々のために祈り、一人ひとりと抱擁し、ルルドの前でアヴェ・マリアの祈りを共に捧げ、「ナザレのマリア」共同体の始まりに喜びの叫びを共に上げることができたらと夢見ています。そうです、何ページになっても構いませんから、わたくしにその名簿を作っていただけるなら、これから献げるミサの中で、主にその名前を読み上げて奉納できるようにしたいほどなのです。

もちろん、さいたま教区には五つ星のホテルはないのですが、千星付きの家はありますから何とかなるでしょう。たとえイワシの缶詰のようになっても、サレジオ会員には寝袋があれば十分なので、教区は開かれた家になりたいものです。網戸が付いているなら蚊は入りません。もし蚊に刺されたら、アルゼンチンに帰れませんよ。なぜなら、それは、日本を、そして、さいたまを愛する菌に感染したことになりますから。ですから、どなたでも大歓迎です。

ラ・プラタとブエノスアイレス (1991- 1997)
 1991年の中頃、わたくしはコルドバからラ・プラタへ移動することになりました。なぜかと言うと、その直前にアルゼンチンのサレジオ管区とパラグアイの管区(6管区)の管区長たちは、修練長であったアウグスチン・ラドリサーニ神父がハイメ・デ・ネヴァーレス 司教の後任としてネウケーンの司教に任命されたので、彼の後を引き受けるように委ねられたからでした。翌年、私たちは、ブエノスアイレスの、以前志願院であったところにあるラモスメヒヤ に移動して、修練院を始めました。それはホセ・ヴェスピニャーニハウスの中にあり、ウィルフリッド・バロン校の隣です。この学校の寄宿舎で、教皇フランシスコは1949 年に6年生として在学していらっしゃいました。

 1996年の中頃、わたくしは日本に帰るようにという声を感じ始めましたが、これというはっきりしたものもなく、その上、1986 年にはアルゼンチンに帰化していました。ですから、故国日本に行くにしても一年だけ、いわゆる「休暇の年」の期間だけということになると考えたのでした。

2―2.第二の旅立ち:アルゼンチンから日本への帰還
 第二の旅立ちとは1997年2月27日の、アルゼンチン国籍のままでの日本への“帰国”だったと思います。わたくしは42才でした。
 日本への第一歩は、「日本人の顔を持ったアルゼンチン人」として。しかし、日本人の顔をして大変下手な日本語を話すわたくしに戸惑っている日本の人々を・・・みなさまのご想像に任せます。アルゼンチンで育まれた人生の部分が、全てにおいてではありませんでしたが、ゆっくりと消えて行く第二回目の自己統合でした。故郷の大分教区で滞在期間を終えようとした時、わたくしはある質問に答えねばなりませんでした。「自分はアルゼンチンに帰るべきだろうか」と。皆が「あなた次第だ」と答え、一年が過ぎ、わたくしは3年間の日本滞在のビザを移民局で取得しました。この荒れ野に身を置いている時、わたくしは アントニオ・マチャードによる「歩く人には道がない、道は歩きながら出来てくる」を歌いました。また、スペイン語で書かれている、インドの宣教者カルロス・ゴンサレス・ヴァジェスの本が、アルゼンチンで広く読まれていました。そして、ブエノスアイレスにいた時に、マリストホールで、それを直接聞くことができました。「歩くことによって道が出来る、今を生きる芸術。」

 日本での滞在はいつの間にか20年を越えることとなりましたが、その間も色々なアルゼンチンの作家の本を読んだり、音楽を聴いたりして、自分の中の内なる深い響きを取り戻していきました。たとえば、マメルト・メナパーチェ、カステリャーニ、アタウアルパ、レオポルド・マレチャール、ホセ・ラモン・ペレスと彼の「信仰が理解を求める」についての論文などを読み, 同様に、エドアルド・ファルのギター音楽や、アストール・ピアソーラのバンドネオンも助けになりました。

哲学者の中では、エティエンヌ・ギルソン による「系統的なリアリズム」、ロマーノ・グァルディーニ の「現代の終わり」、ヴォン・バルタザール の「愛のみが信仰に値する」、カール・ラーナー の霊的著作、J・ラッツインガーの 「信仰についてラッツインガー枢機卿との対話」、E・スヒレベークスの小本、「キリスト、神との出会いである秘跡」、またノーランによる「今日のイエス」などなど。

 また、日本語からスペイン語に翻訳された日本人作家の著書、小説、物語、エッセイ。わたくしはこの20年間、これらをむさぼり読んできました。遠藤周作から初めて、大江健三郎,川端康成、三島由紀夫,夏目漱石、そして村上春樹に至るまで。高山右近の列福がきっかけで、16世紀のイベリア半島からの大航海時代、日本はどのようであったかを調査しているエッセイを手に入れたことなど,それらは素晴らしい宝物ですが、不幸にもわたくしにはそれらの原文を読むことはできませんでした。

2―3.第三番目の旅立ち:
「羊の匂いのする牧者」(教皇フランシスコ)
 数日前、ローマ教皇大使 ジョセフ・チェノットゥ大司教に呼ばれた時、大使のご兄弟の家族が丁度その前の週にカレラからお見えになった時のように、外国から見えた方をわたくしに世話してほしいということだと思いました。大使はいつものようにほほえんで、サレジオ会の日本管区の仕事はうまくいっていますかと訊かれました。わたくしは、いろいろな課題に直面していますが、全面的な再編成に取り組んでいるところです、と申し上げました。大使は、今から教会のために新たな任務についていただきます、とおっしゃいました。教皇フランシスコは、あなたをさいたま教区の司教に任命なさいました、と。そこは2013年の中頃から、谷司教様の辞任により空位となっていて、岡田大司教様が教区の管理者を勤められていたのです。大使は今日のミサで読んだ福音に基づいてコメントしてくださいました。 「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか。」と。そして、イエスご自身であるかのように、大使はそれを二回繰り返されました。最後に4枚の白紙を下さって、教皇様へ任命に対する受諾の手紙を書いてくださいとおっしゃいました。
 教皇大使が話しておられる時、わたくしは特別な力をいただきました。というのは、幸いにも庭を見渡せる窓のシャッターが開けてあり、扶助者聖マリアの白い御像が見えました。これはよく分かりませんが、アルド・チプリアニ神父が管区長か財務担当だった時に寄贈した御像です。そしてマリア様に向かって、わたくしの全信頼を込めて、あなたのご加護を願い求めます、と心の中で祈り求めて、教皇様に手紙を書き始めました。

 教皇大使は10分後に、わたくしが受諾し署名した手紙を受け取りに戻られ、ローマにそれを送られるとのことでした。
 「親愛なるパパさま、教皇フランシスコ様」
わたくしは、1984年、子供の時にアルゼンチンに移住したドン・ボスコの一介の息子に過ぎません。公式に学校で教えるために1986年にアルゼンチンに帰化しました。わたくしは1992年以来ラモスメヒアにおりましたので、パパ様のお名前は、ブエノスアイレスのリニエルスのサンカジェターノに毎年8月7日に大司教として足を運ばれたことなど、噂で知っていただけでした。パパ様は、この聖地に、仕事を手に入れられるよう祈るために来た多くの人々と共にいらっしゃいました。とりわけ、アルマグロの扶助者聖マリアの大聖堂を訪問されたことをわたくしは知っていました。わたくしは、2014年4月20日に帰天するまでサン・カルロスの主任司祭だったホセ・レポヴス神父と修練院で同僚でしたので、彼から話を聞きました。そして、パパ様がカジェターノ・ブルーノ神父に送られた何通かの手紙のことも。この分かち合いはパパ様との対話であり、また全世界への祝福の願いでした。

 最後に、わたくしはこの教会司牧の奉仕に全く値しない者だと感じていますが、祝福をいただけるのなら、この司牧者としての仕事を謙遜な心でお受けします。

3.わたくしにとって、広大で素晴らしい、しかし、
未知なフィールドです。
サレジオ会はこれまで東京より北には行っていません。ですから、さいたま教区にはサレジオ会の活動拠点がありません。しかし、私たちには、卒業生やサレジオ会の友人が多くいます。さらに、わたくしは、埼玉、群馬、栃木、茨城の四つの県を担当するこの教区内に住んだことがありません。これらの県の全人口は1400万人を少し超えるくらいです。そして、カトリック人口は21,593人ですから、全面積22,647平方キロメートル内に、カトリック信者は人口の約0.15%しかいないことになります。しかし、もし、教区内に住んでいる外国籍の人たちの多くがカトリック信者だと考えたら、驚くことに、その数は10万を超える可能性があります。その上、仏教、神道など、他の宗教の信者で、イエスが教えているいつくしみを持って、困っている人を助けようとする人たちは福音を生きている人たちと考えれば、数はもっと増える可能性があります。さいたま教区には217人の奉献生活者(司祭、終身助祭、神学生、修道士と修道者)がいます。奉献生活者や信徒の国籍は様々です。日本人、韓国人、ブラジル人、フィリピン人、ベトナム人、ペルー人、アメリカ人、インドネシア人など。ある人たちは、20年、30年、これらの県に住んでいます。中には母国語を話さない子どもたちもいます。多くの研修生もいます。彼らは夢をもって、ここを約束の地であると期待して来ますが、実は様々な困難や苦しみにも遭遇しているのです。

教皇フランシスコがおっしゃっているように、移民や高齢者、家庭や学校などで困難に直面している子どもたちにとって、もっとサマリア的教会でなければなりません。日本に住んでいる若者を引きつける教会でなければなりません。この教区には、11 ブロックに54 の教会、51人の司祭と5人の終身助祭がいます。男性修道会が4、女性修道会は17あります。全体で、男女修道院数は27です。教育を通して、福音宣教する教会として、教区には19の幼稚園と保育園、私立中学・高校が4校、児童福祉施設が5つ、老人ホーム2つと黙想の家が5つなど、多数の施設があります。わたくしの就任1年目の望みは、すべての小教区と修道院を訪問すること。e-メールによるものではなく、すべての教会、すべての修道院を直接訪問することです。写真を撮って、名前と顔を早く覚えたいのです。
また、教会がある地域には、祈りと巡礼の場所である仏閣や、自然にも村々にも深く溶け込んでいる神社がたくさんあります。また、プロテスタント教会なども見られます。これらは、私たちが、霊的に、兄弟として、疑いなく、分かち合って行くべき価値のある、宗教的、また倫理的な富と言えましょう。

この教区内には、国際的に有名な都市もあります。筑波宇宙センターのあるつくば市、世界を驚かせ続ける電子システム創造のシンボルである日立製作所のある日立市、世界中からたくさんの巡礼者や観光客が訪れる東照宮を有する日光市などです。

4.結論:信仰者の共同体として、復活された
 イエスの証人となる
教皇大使との会話の中で、大使が強調されたいくつかのメッセージが私の中に刻まれています。
 さいたま教区には、全信徒の約75%、またはそれ以上の移住労働者がおり、多くは日本に20年、あるいはそれ以上滞在しています。最近、代理店などを通して3年〜5年契約の研修労働者も増えています。もっとも多いのが、ベトナム人です。もう一つの課題は、預言者的に教区を豊かにしてきてくれた修道会が、国内外で新しい召命を求める際のカリスマの活性化です。このカリスマは国内外で教区を預言者的に豊かにしていきます。教区長の導きとその権威のもと、教会運動との対話と共生もまた、大きな課題でしょう。多様化したメンバーが教区にとって最も大きな富です。「時は空間に勝る」(『福音の喜び』222) と教皇フランシスコが力説されるように、地理的に幅広いこの教区というフィールドで、神からの時のしるしを識別する訓練をする必要があります。そうすれば、私たちは、日本の社会の中で、復活されたイエスの真の証し人になれるのです。初期のクリスチャンが、イエスやキリスト教を知らなかった世界において、喜びをもって証し人であったように、私たちも、この社会で、貧しい人々や最も助けを必要としている人たちに開かれた教会として、復活されたイエスの証し人として生きるようにしましょう。

「使徒言行録」に記されている理想の証しを思い起こしましょう。「彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」(使徒言行録2:42-47)

 教会の母、また、私たちの母マリア様が、悪の力からいつも私たちを守り、常に浄配である聖ヨゼフの導きによって、私たちが人々に、特に、子供、若者、老人に奉仕することができますように。(完)


 [司教メッセージ] 




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