カトリックさいたま教区
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カトリックさいたま教区

オープンハウスの歩み OUR HISTORY

1988年 春、聖香油のミサの前に、さいたま教区の司祭、シスターの有志18名が集まり「正義と平和協議会」、「カリタスさいたま」、「教区国際協力委員会」、それに教会の現場で移住者の人権問題に関わっていた人たちの協力のもと、「外国人と共に歩む連絡会」が発足。日本社会の中で、移住者の人権の問題が増えてくる。教会の中に、移住者達が存在し始める。
1994年 2月13日 カトリック浦和教区国際交流センター「オープンハウス」を小山に開所する。当日は雪の降る日であった。日本人と外国人が自由に交流できる場として設立された。

支持母体 浦和教区教区長岡田武夫(現、東京大司教)、教区国際協力委員会、カリタス浦和、正義と平和協議会
協力団体 外国人119ネットワークなど
所在地 栃木県小山市
開所日 水、土、日 12:00~17:00
所 長 ドネガン神父(イエズス・マリアの聖心会・当時つくば教会主任)1994年〜2000年秋
専従スタッフ Ms.ネディ.コドク(フィリピンからの信徒宣教者)
協力スタッフ 川上剛神父、長谷川潤神父、谷大二神父(前、さいたま教区長)と聖心侍女修道会やマリアの宣教者フランシスコ修道会などのシスター
ボランティア 小山教会の信徒を中心とした広く近隣の教会の信徒
1995年 ボランティアの養成と生活ネットワークの充実、コミュニティー作りに力を注ぐ。はじめは、英語、タガログ語中心であったが、やがてスペイン語・ポルトガル語の対応が必要になってくる。
1996年 教区顧問会において“他国籍の人”も“日本人”も同じ寄留の民ではないか、「旅する神の民」であるキリスト者に、外国人・日本人という区別はないという話が出た(ヘブライ11・13-16)。これをうけ、教区内で「多国籍教会」という表現が使われるようになり、この頃からオープンハウスは言語別司牧に重点を移しはじめた。マニラでの移住者の家族と帰国者の集いが始まる。スペイン語圏の人たちのための支援が始まる。ボランティアのシスターたち・司祭たちの連携が始まる。
1997年 司教の年頭メッセージの各国語への翻訳(英語・タガログ語・スペイン語・ポルトガル語・韓国語・ベトナム語)を開始し、教区全体の意識改革を呼びかける。同年7月、事務所を小山から浦和の教区事務所内に移転。オープンハウスに、スペイン語圏のためのスタッフ・英語圏・事務所のためのスタッフが入る。スタッフが司祭大会に参加し、外国籍の人達の現状を伝える。この後毎年、司祭大会(現・司牧者大会)に参加する。
1998年 東京教区管区で多民族・多文化の教会司牧に関する共通の指針をまとめたガイドラインが承認され、それに基づく司牧が始まる。教区内では、日系ブラジル人やペルー人司牧が急務となり、スペイン語対応スタッフが加わり、スペイン語圏のリーダー養成講座がスタートした。子供のための秘跡に関するパンフレット作り(言語別-日本語と対訳)を始める。
1999年 上福岡教会、太田教会など小教区との交流が始まる。3教区(東京・横浜・浦和)の合同交流・研修会が定期的に行なわれる。<CTIC(カトリック東京国際センター)・SOL(横浜教区滞日外国人と連帯する会)・オープンハウス(カトリックさいたま教区)>
2000年 谷大二司教叙階、浦和教区長となる。
所 長 長谷川潤神父第2代所長就任(フランシスコ会・当時伊勢崎教会主任)2000年秋〜2005年春(ドネガン神父、ローマへ)

ブラジル語対応のシスターをスタッフに加え、ブラジルから司祭を招へいし、新司祭をブラジルへ派遣、ポルトガル語圏司牧が本格化。教区司牧者大会で、ダブルの子供たちの状況を知り、子どもたちを取り巻く環境を考える。そこで、彼らの信仰養成の必要性について話し合う。
2001年 栃木地区窓口を小山教会に開設。(金曜日12:00〜17:00)
多国籍司牧を進めるために「各言語共同体と司教との出会いの集い」、言語別外国籍信徒の交流会や(フィリピン人グループのフラワーフェスティバルなど)言語別の子供たちの信仰教育、CTICとの合同研修会(秘跡について)が始まる。

信徒の奉仕グループ、信仰養成のグループなど、小教区の言語別リーダー養成に力を入れる。また、オープンハウス・スタッフの養成にも力を入れる。「できること」と「できないこと」について、注意深い聴き方など、「カウンセリングの原理」についての連続養成講座を月1回の全体会で行う。
2002年 谷司教は、宣教司牧評議会において「さいたま教区のめざす多国籍・多文化共生の教会のイメージ」についての諮問を行い、すべての地区、小教区の共同体からの答申を求める。多言語・各言語圏共同体支援活動が教区全体へと急速に広がる。ダバオ・セブでの移住者の家族と帰国者の集いも始まる。
2003年 牛久の東日本入国管理センター訪問が頻繁になり、教区の牛久訪問司牧の担当者に、齊藤紳二助祭が任命される。ブラジル人のリーダー養成のための研修会が定期的に始まる。
2004年 2月13日「オープンハウス10周年」感謝のミサと記念の集いが開かれる。「移住者たちの司牧・人権」から「日本人も含めた多国籍教会の司牧と人権」へ。個々人の文化・歴史を尊重する共同体を目指して・・・
2年間、小教区・地区・言語別の共同体などで話し合われたまとめの報告が、谷司教へ答申として提出される。信徒のための傾聴研修会が始まる。
2005年 所 長 ウェイン・バーント神父第3代所長就任(カプチン会・大宮教会担当司祭)2005年春~2010年
協働宣教司牧への参加・協力(ガイドライン作成のため等)、協働宣教司牧の小冊子「豊かな交わりをめざして」作成。言語別グループの養成・活動への関わりが活発化。
2006年 協働宣教司牧の実現に向けて、スタッフや協力者のための研修会・話し合いを続ける。
2007年 協働宣教司牧への移行スタート、小教区の司牧がブロック制となる。オープンハウスは、各ブロックでの外国籍信者の司牧を手伝う「言語別サポートチーム」の窓口・連絡調整係としての役割を担う。また、オープンハウスが今まで人権問題に関わってきたノウハウをふまえ、外国人だけではなく、教区全体の人権に関するケースの相談窓口も担当することとなる。オープンハウスに、ベトナム人司牧スタッフが加わる。
月一回の全体会で、共依存など、相談者との関わり方の見直しについての勉強会を開く。協働宣教司牧の精神を教区中に伝えるために、宣教司牧評議会などでロールプレイを披露。
2008年 4月、協同宣教司牧全面スタート。ブラジル移民100年祭(記念ミサ・フェスティバル)
2009年 セカンドハーベストからの食料品配布。
2010年 4月、教区の司牧センター設立。オープンハウスのスタッフはその組織のメンバーとして組み込まれる。オープンハウスの「多国籍司牧」という観点から、教区の司牧活動や行事などに提案することが求められる。
所 長 クレーバー・ディソーザ神父第4代所長就任(カプチン会・埼玉北ブロック教会担当司祭)2010年春〜(ウェイン神父、沖縄へ)
2011年 3・11東日本大震災。教区内の多国籍グループによる被災地での炊き出しや民族舞踊が披露された。ベトナム難民をはじめ、多くの移民による震災支援は、被災者たちに大いに喜ばれた。教会の多国籍の力が発揮された年となる。
2014年 所 長 ジャック・セラテ神父第5代所長就任(フランシスコ会・埼玉東ブロック教会担当司祭)2014年春〜(クレーバー神父、沖縄へ)