カトリックさいたま教区
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サポートセンター DISASTER RELIEF CENTER



ボランティア・ダイアリー VOLUNTEERS' JOURNAL

いわき訪問 急遽再開
2020/06/15(Mon)

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◆先ず、写真の説明から。

@左は、急遽、7カ月ぶりの訪問となった、北好間団地集会所での様子。

A中央は、カフェ再開のお知らせ。

B右は、下矢田団地で紙芝居「どんと来い!三途の川」を演じるカリタスいわきのIさん。




●皆様ご案内のとおり、新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止にかかる「緊急事態宣言」は、去る5月25日に一都三県を含み全国的に解除されました。

●この「緊急事態宣言解除」により、福島県の県営住宅管理の担当部所から、いわゆる三蜜を防ぐなどの注意をすることで、復興公営団地の集会所の利用が可能である旨の連絡が団地自治会にあったそうです。

●この状況の変化により、下矢田団地、北好間団地とも「(仮称)カリタスいわき」の出張交流カフェの来訪も可能であることが分かりました。

●このため、急遽いわき教会と相談のうえ、必要最小限の人数で両団地に訪問することとなりました。15日は聖母訪問会のシスターが都合がつかず、いわき教会の3名、さいたまサポートセンターから1名の4名で北好間団地を訪問。16日は、いわき教会の2名とシスター1名の計4名で下矢田団地を訪問しました。

●北好間団地では、昨年の台風19号の被害復旧工事の為、11月から集会所が使用出来なく成っていたところにコロナ禍が追い打ちをかけて使用ができないという状況でした。加えて4月には団地自治会の役員交代もあり、面識にない自治会役員の方と電話や郵便でのやりとりで、大変ご負担をお掛けしました。

●北好間団地では、情報が行き渡らなかった棟もあった様でしたが、初めてカフェに来て下さった男性や広野町の女性お二人、お子さんを連れて初めて来て下さった若い方もありました。


●両日とも、暑い日でしたが、窓を開け、なるべく間隔を空けて座って頂きました。ボランティアはマスクを着け、場面によってはマスクに加えてフェイスシールドもつけての活動でした。




◎訪問していた仮設住宅跡地の状況 その1
2020/06/16(Tue)

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◎6月15日付のレポート(画面上、下欄に成っています。)にありますように、急遽、2カ所の復興団地を訪問することができました。

◎16日のカフェが始まる前に、旧・もみの木で訪問していた10カ所の仮設住宅と旧・もみの木前の高久第1仮設跡地を訪ねてみましたので、16、17日付の2回に分けてご報告します。

◆写真は、クリックすると少しは大きく見えます。

◆左から、
@、A枚目。旧・もみの木舎前の高久第1仮設跡は住宅化に向けて大規模な工事が展開されています。

B16世帯の小規模仮設にしては、何時も10数名の参加があった高久第6仮設跡。公園の向こうで住宅が建っている辺りに小さな集会所がありました。副会長の男性K村さんが、何時ももみの木歌集で唄うのがお好きでした。

C底地のような低い場所にあった高久第8仮設跡。女性の会長さんとHさんのお二人が「吉本漫才」の様に賑やかにしていて、笑いの絶えない小さな集会所でした。物静かな、おばあさんお二人が椅子に座ってそれを聴いているという構図でしたが、お一人は一番早く楢葉町に帰られました。今は多目的広場として復元されています。「やぶそば」のYさんと出会ったのもこの仮設集会所でした。

D集会所が二つあった200所帯の大きな仮設だった高久第9仮設跡。第1、第2集会所を交互に利用していました。第2集会所では、集会所裏にお住いで、おみ足の不自由なMさんのお宅に出前のコーヒーをお届けしていました。カフェが畳まれ、皆さんが帰った後に2、3曲唄うW辺さんが印象的でした。(正面に第2集会所が有りました。)

E第9仮設に隣接して、集会所二つと南端に小さな談話室を持っていた200所帯越えの高久第10仮設跡。何時も、カフェを開設してから呼び込みに歩くとそれを聞いて集まってくださる方があった仮設でした。若い男の子が荷物の出し入れをよく手伝ってくれました。






訪問していた仮設住宅跡地の状況 その2
2020/06/17(Wed)

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◎16日付の続きです。

◆写真左から
 (16日付写真からの通し番号で表示します。)

F一番小さかった飯野仮設。集会所はなくて仮設住宅の一室を集会所として利用していました。仮設住宅の二部屋の壁を抜いて一部屋にしたものでした。ここは、栃木県宇都宮と栃木の日本キリスト教会の皆さんも活動を助けてくださっていた仮設でした。今は、ハウスメーカーの住宅が複数建っています。

G、H鹿島街道沿いの下矢田仮設住宅遠景。(良く下矢田第1仮設と呼んでいたところです。)まだ何棟か残っていて、カフェで利用していた集会所は地域で使用しているそうで、まだ残っていました。T中さんがUFOキャッチャーの戦利品を沢山のボランティアさんにプレゼントしてくださいました。彼は今、大熊町大河原地区に住み、元の職場に復帰しているはずです。

I同じく鹿島街道沿いで、下矢田仮設と並ぶように在って一番新しい仮設住宅だった下矢田第2仮設住宅跡。亡くなった出羽会長さんが居た仮設です。今は、原発へ通う大型バス駐車場に成った部分もあったり、すっかり面影が無くなっています。(画面左側に鹿島街道が走っています。)

J手芸などが上手な方が多く、ご高齢の女性もたくさん参加してくださっていた小名浜林城仮設跡。I狩会長さんが纏めていて下さって、もみの木に対しても、とても好意的で七夕の時なども何度もお世話になりました。今は公園整備が進んでいます。

K思い出深い小名浜上神白仮設跡です。芭蕉さんの『夏草や兵どもが夢の跡』と言う訳では有りませんが、すっかり影形は無くなっていて感慨深い風景でした。遠くに小名浜のタワーが見えます。奥さんが「五番街のマリー」が好きだったF山さんご夫婦は、息子さんご一家と郡山に転居されました。

Lもみの木から一番遠かった好間工業団地第3仮設住宅の集会所。この仮設住宅は今も残っていますし、何台か車が駐車していますが、生活しているという感じは受けませんでした。なお、隣接していた大熊町いわき出張所は、旧好間町内に移転していました。



 [ボランティア ダイアリー]