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司教メッセージ MESSAGES

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聖香油ミサ説教

2009/04/08(Wed)
アメリカ発の金融危機による、世界的な経済不況のなか、多くの教会で 職を失った人々、困難に直面している人、特に移住者のために 国籍や言葉を超えて兄弟姉妹として助け合ってくださっていることを見て、うれしく思っています。また、教会委員会などでもこうした生活レベルの議題を取り上げて話あって、できることから積極的に取り組んでくださっていると聞いています。困難な時代であるからこそ、逆に、共同体が豊かになっているのです。皆様と神様に感謝したいと思います。

さて、今日の聖香油のミサは、司祭職のためのミサです。そこで、「司祭の清貧」についてお話したいと思います。私はさいたま教区のすべての司祭、修道者が清貧に生きておられることに 尊敬の念を持ち、誇らしく思っています。
私たちは司祭として、従順と貞潔を誓っています。修道士はこれに加えて、清貧を誓っています。司祭は清貧を公的な誓願としてたててはいません。しかし、清貧の精神を忘れては司祭としての役務を果たすことはできませんし、司祭への尊敬をだれも払ってはくれなくなるでしょう。
清貧の模範はイエスの生きた姿のうちに示されています。それをパウロは誇りをもって次のように宣言しています。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」二コリ8:9
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」フィリ 2:6,7
また、パウロは、キリストの貧しさを模範として生きようとする初代教会のキリスト者にあててつぎのように教えています。
「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。」ロマ 12:13
ここでいう「聖なる者たち」(複数形)は小さくされた者たち、貧しい者たちのことをさしています。パウロはさらに次のように信者に語ります。
 「しかし今は、私は聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。」ロマ15:25〜33
ヨハネ・パウロ2世は「司祭の役務と生活に関する指針」にのなかで「司祭の清貧」について次のように書いています。
「司祭が、自分の快適さや裕福さに気を奪われすぎるなら、兄弟姉妹の僕となり役務者となるのは難しい。司祭はキリストの模範にならってこの世の富や物にたいして自由にならなければならない。司祭は自分が受けた たまものが無償であることを思いだして、いつも無償で与えるようにしなければならない。」
司祭、修道者の清貧は、キリスト者としてのあるべき姿を示すものでもあるのです。その意味では、清貧はすべてのキリスト者のあるべき姿といってもよいでしょう。清貧の精神を、共同体のなかに染みとおらせることが、私たち司祭団の使命の一つでもあります。なぜなら、清貧を生ことはキリストにならって生きることを意味するからです。

さて、私は2009年1月、宣教司牧評議会に「自然環境、貧困」の問題について諮問しました。自然環境の問題は消費生活をあおることによっては決して解決しません。キリストの清貧を模範とした生活、神の被造物を大切にする生活こそが、自然環境にやさしいものなのです。また、貧困で苦しむ人々を排他的に扱うなら、それはキリストの模範にならって生きようとしないばかりか、かえってキリストの模範に反する生活になります。貧しい人、小さくされた人の豊かさが、わたしたち教会共同体を霊的に豊かにするのです。
自然環境を破壊する原因、貧困を生み出す原因は個人の怠りの罪にはじまり、世界の中にはびこる構造的な罪にいたるまで含まれています。自分たちでできる範囲でしかできませんが、この罪を究明し、それらの解決をひとつひとつ図っていくことは、「この世の富や物にたいして自由になる」、つまり清貧を生きる具体的な取り組みとなります。
ヨハネ・パウロ2世は「司祭の清貧」の中で次のように述べています。
「貧しい者の友である司祭は、世界にあまりにも悲劇的に見出されるあらゆる形態の貧しさを排他的にではなく、優先的に選び取らなければならない。司祭は人間が解放されるために最も必要なことが、あらゆる悪の根源、つまり人間の罪であることを決して忘れてはならない。」
自然環境、貧困という二つの課題は一見、教会とは関係のないように思えます。しかし、清貧という観点を持つことによって、それは教会の霊性と深く結び合わされているのです。また、二つの課題はまったく違った課題のようにも見えます。しかし、いずれの課題もイエス・キリストの清貧に収斂されます。この二つの課題を教会として取り組むことによって、あらゆる被造物を大切にし、自ら貧しい者となり、貧しい者とともに生きたイエス・キリストの生き方をもう一度、わたしたち自身が取り戻すよいチャンスにしていただきたいと思います。
1999年、さいたま教区司祭団は「さいたま教区のヴィジョン」を作成し、発表しました。そこに8つの課題が提示されています。その一つに「シンプルライフのすすめ」という課題があります。これは、「キリストの清貧を生きる」という意味でした。私は、さいたま教区の司祭団、そして兄弟姉妹の皆さんと一緒に、「シンプルライフ、清貧を生きる教会」を目指していきたいと願っています。


 [司教メッセージ] 




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