カトリックさいたま教区
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カトリックさいたま教区

司教メッセージ MESSAGES

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2019 新年メッセージ

2019/01/07(Mon)
日本語ふりがな
さいたま教区のすべての兄弟姉妹の皆さまへ


わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです
(マタイ2・2)



主イエスの聖家族の名によって、2018年の降誕祭と2019年の新年が幸せで
満たされますように。


最初に皆さま一人ひとりに心から感謝を申し上げます。
小教区と共同体、修道院の方々がわたくしを新しい司教として受け入れ、わたくしのために祈ってくださっていることに感謝いたします。
先任の司教様方に倣って、2018年クリスマスと2019年新年のメッセージを送ります。
神の母聖マリアの祭日と、世界平和のために祈る日で始まった2019年が恵豊かな年でありますように。

感謝のうちに
さいたま教区長としての任命の知らせを受けた直後、当時の教区管理者岡田武夫大司教様から、さいたま教区司牧者大会(6月25日〜27日)に招かれました。そこで、さいたま教区で働いている司牧者の方々に出会い、共に過ごした時間を通してさいたま教区の司牧者に近づいたように思います。

明の星学園ジュビリホールでの司教叙階式には、日本の司教団、海外の司教様や修道会管区長様をはじめ、さいたま教区司祭、多くの信徒など1600人を超える方々が出席してくださいました。
わたくしにとって確かに真のペンテコステ(聖霊降臨)でした。
星の導きに従って
叙階式後に始めた小教区や修道院への司牧訪問でもたらされた響きを分かち合いたいと思います。それはミサや話合いを通してわたくしの心に響いたことで、教区を知る助けにもなっています。
一つは共同体生活のスタイルと雰囲気からのカリスマ的レベル、もう一つは小教区の仕組みや委員会、グループなどの組織的レベルです。
さいたま教区は将来性がある教区であると確信しています。聖霊が働き、教区の上にいつも新たな働きでわたくしを驚かせています。毎日夕の祈りで唱えるマニフィカト「聖母マリアの祈り」は、神が摂理であり、いつくしみ深いマリア様の信頼を思い起こさせてくれます。
このメッセージを東方の博士たちの場面と結びつけて考えていきたいと思います。
彼らは星に従ってベツレヘムにたどり着き、幼子、マリアとヨセフに出会いました。そこで礼拝の印として幼子にそれぞれが贈り物を献げました。マタイ福音史家が書いている東方の博士たちの箇所に、わたくし自身が共感しています。新福音宣教の集いで、日本人と移民の方たちが分かち合ったように、わたくしの信仰の原点がその歩みに深く関係しているからだと思います。

東で星をみた若い夫婦
1964年5月31日、わたくしの家族は横浜港からアルゼンチンに出発しました。仕事と収入、建てたばかりの家、そして親戚、友だちなどを捨てたのです。
しかし、父には一つの夢がありました。
彼にとってそれは神の呼びかけ、「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい(創世記12・1)。」
この夢は、読書とラジオ講座で独学したスペイン語の助けを借りて、まぎれもなく実現しました。35歳という年齢でした。父にとって人生のこの出来事は、強いカイロス(神の働きの時)だったのではないでしょうか。将来に向けて最も決定的な決断の時、わたくしの両親であるこの若い夫婦はその歩みが神の夢の実現になるという確信をもっていたのです。
その後、父は星を辿りながらその道を歩み続けました。いつも見えていたわけではありません。サン・ホアンというアンデス山脈の麓の地域では年に3〜4回しか雨は降らず、夫婦で一緒に星を見る時、彼らは神が一緒にいてくださると確信し、共にいる安心感を持ったのでしょう。
父は電電公社(当時)から給料を貰う安定した生活から、突然農民になったのです。日本で買った農業の参考書は、サン・ホアンの気候には合わず助けにはなりませんでした。
そしてスペイン語のことわざを学んだようです。“A Dios rogando y el mazzo dando”(神に祈りながらハンマーで打ち続ける。) 朝は祈りで始まり、夜はロザリオ一環を祈り9人の子どもを「冒険の精神」で育て上げました。
兄弟一人ひとりが様々な経験をして今日に至って生きています。スペインの詩人アントニオ・マチャード(Antonio Machado)は詩っています。「歩く人には道がない、道は歩きながら出来てくる」(Caminante no hay camino, se hace camino al andar)

新しい福音宣教の星(EN82、EG284)
最後に、イエスの母でありわたしたち教区(教会?)の母であるマリアとメッセージを関連づけて終わりたいと思います。

第二バチカン公会議終了10年後、現代社会の福音宣教についての使徒的勧告(“Evangelii Nuntiandi”1975年12月8日)の中で、様々なマリア様の名称に「福音宣教の星(EN82)という新たな宝石が加えられました。
教皇フランシスコは使徒的勧告「福音の喜び(Evangelii Gaudium)」で、聖母マリアなしにわたしたちは新しい福音宣教の精神を理解することが出来ない、と強調しています(EV284)。忠実な神の民として愛されるようになるための適切な言葉と行いを見つける方法を聖母マリアはご存知です。その聖母が幸せの真の泉として、イエスの福音をわたしたちに味あわせてくださいます。

新しい年を神の民として歩み始めるさいたま教区にとって、イエスの母、わたしたち一人ひとりの母であるマリアがわたしたちの旅の確かな星でありますように。
牧者として、いつも仕える者としての、わたくしの祝福が皆さまの上に豊かにありますように。

2018年 降誕祭

                 カトリックさいたま教区司教
                     マリオ 山野内倫昭


さいたま教区司教叙階メッセージ

2018/10/16(Tue)
マリオ山野内倫昭司教 S.D.B.
司教叙階: 2018年9月24日

キリストのうちにあって
一つのからだ、
一つの心となりますように。
(第三奉献文)

1.まず、はじめに、みなさまに心から感謝します。
そして、わたくしにみなさまから祝福を送ってください。

 この手紙を通して、みなさま一人ひとりにご挨拶できますことを嬉しく思います。教皇フランシスコが2013年3月13日に教皇に選ばれて、最初の挨拶の際なさったように、わたくしもみなさま一人ひとりがわたくしのために祈ってくださるようお願いし、わたくしからはみなさまに祝福をおくります。今日から、お互いのための祈りを絶えさせないようにしましょう。さいたま司教の最初の手紙として、わたくしの62年の人生を通して、命の主である神様が紡いでくださったこれまでのわたくしの歩みを分かち合いたいと思います。わたくしは旧約聖書の出エジプト記を鍵としてなぞりながら話していきます。それはわたくしにとって、人類の歴史の中に受肉された御言葉を理解するための扉でしたから。

 この物語には、33年間(1964-1997)を共に過ごしたアルゼンチンの友人や知人たちがふんだんに盛り込まれています。また、わたくしのスペイン語にはアルゼンチンの山岳地帯や平原で使われている独特の言い回しがありますが、この分かち合いを多言語の翻訳で読むみなさまにもうまく伝わりますようにと切に願っています。

2. 旅立ちによって形造られた人生
 人生には、それに意義を与え、方向づける旅立ちがあります。人生の途中、私たちは道を開き、何回も旅立ちを経験しています。わたくしの場合、最初の旅立ちは1964年のことでした。わたくしは8才半で、両親はわたくしと4人の弟たち(一番下はほんの一才半でした)を連れて、日本の裏側にあるアルゼンチンに移住することを決めたのです。第二番目の旅立ちは、1997年、一年間の予定で日本に戻ったことです。わたくしはほんの一年間のつもりで日本に帰りましたが、何と、それからずっと、今に至るまで日本にいるのです。第3番目の旅立ちがこれから始まろうとしています。サレジオ会出身の司教として、サレジオ会の枠を超えた、教会のもっと広いグラウンドに送り出されようとしているのです。恐れはありますが、神様のいつくしみに信頼しています。

2―1.最初の旅立ち:
両親と兄弟たちといっしょに(創世記12:1)
 司祭叙階は1984年12月21日に、アルゼンチンのサン・ホアンで受けました。司祭となってからの長い道のりの中で、わたくしはカルロス・メステレスによる “アブラハムとサラ”という小さな本を読みました。著者は ブラジルのカルメル会宣教師です。彼の著書を読むうちに、わたくしがなぜ移住したか、とりわけ、日本がかなり安定してきた頃であったにもかかわらず、なぜ、父が、アルゼンチンに移住するなどという無茶な冒険を企てたかということが分かってきました。すべての親戚の反対がある中、イタリア人の宣教師ドン・チェサレ・セッキだけが父に、「もしこれが神様の御旨であるなら行きなさい。そして、聖母マリアのご保護に信頼しなさい」とおっしゃったからでした。

 わたくしは、母が何回も私に打ち明けたこと、特に私たち家族が2番目に移り住んだヴィラ・メディア・アグア での暗い時期についての話を覚えています。その村からは最も高いアコンカグアの山頂を含むアンデス山脈を見ることができました。母はわたくしに話しました。「あなたのパパは信仰の厚い方ですよ。パパの内に働く神様の強い力を私は信じています。私は、あなたたちのパパがアルゼンチンで生活し、そこであなたたちを育てるという夢に信頼しています。それは、私たち家族に向けられた神様の夢でもあるのですよ。」母は何度もこのことを言いました。
父に、そんな遠い地に移住するように働きかけた信仰の核は何だったのでしょうか。それは、まさに、アブラハムがあの声を聞いた時に取った行動のようなものでした。「主はアブラハムに仰せになった。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて私が示す地に行きなさい。』」(創世記12:1)と。ですから、非常に大きなユートピア的理想をかかげて、私たちは1964年5月31日に神戸港から旅立ち、横浜、ロサンジェルスを経て、同年7月21日にブエノスアイレスの港へ到着したのでした。途中、パナマ運河やベネズエラ、ブラジル、ウルグアイなどの沿岸航路を通って行きました。

マフェキン (コルドバ. 1984-1991)
 わたくしは1984年12月21日に、サン・ホアン の司教座大聖堂で司祭叙階を受け、カテキスタとしてミゲル・ルアの修練期後の共同体に送られました。また、そこで神学を教えながら、毎週末、マフェキンという聖ヨハネ・ボスコ小教区の近隣へ通いました。当時、そこには聖堂がありませんでしたが、校長先生の配慮により、私たちは教室や学校の庭を使ってカテキズムを行い、ミサを献げました。わたくしはそこで人々の牧者であることを学びました。・・・話したい思い出はたくさんあります・・・。いろいろ聞いていただきたい話があります・・・。土曜日のオラトリオとおやつ、中庭でのミサや、そこに入りきれない時には外でミサをあげ、参加人数と場所が噛み合わない時には、臨機応変に対応しました。計画を変更して、近くの道路や個人の家の前で行列をしたことや、家の前に祭壇を作ったり。ある時には、ろばが逃げてしまった!ので、止むを得ず馬に乗って行列をしたことなど。ルルドのため、またチャペルのために、いろいろな土地の寄付がありました。また今では少なくとも35才から45才か50才になる当時の少年たちや、もう永遠の安らぎに旅立った当時の人たちの名前が浮かびます。彼らはみんなわたくしの父母であり、よい兄弟姉妹、息子や娘でした。わたくしはいつかマフェキンへ行き、数時間でも彼らと共に過ごし、神様にそこで過ごさせていただいた時を感謝し、今は永遠の安らぎについた人々のために祈り、一人ひとりと抱擁し、ルルドの前でアヴェ・マリアの祈りを共に捧げ、「ナザレのマリア」共同体の始まりに喜びの叫びを共に上げることができたらと夢見ています。そうです、何ページになっても構いませんから、わたくしにその名簿を作っていただけるなら、これから献げるミサの中で、主にその名前を読み上げて奉納できるようにしたいほどなのです。

もちろん、さいたま教区には五つ星のホテルはないのですが、千星付きの家はありますから何とかなるでしょう。たとえイワシの缶詰のようになっても、サレジオ会員には寝袋があれば十分なので、教区は開かれた家になりたいものです。網戸が付いているなら蚊は入りません。もし蚊に刺されたら、アルゼンチンに帰れませんよ。なぜなら、それは、日本を、そして、さいたまを愛する菌に感染したことになりますから。ですから、どなたでも大歓迎です。

ラ・プラタとブエノスアイレス (1991- 1997)
 1991年の中頃、わたくしはコルドバからラ・プラタへ移動することになりました。なぜかと言うと、その直前にアルゼンチンのサレジオ管区とパラグアイの管区(6管区)の管区長たちは、修練長であったアウグスチン・ラドリサーニ神父がハイメ・デ・ネヴァーレス 司教の後任としてネウケーンの司教に任命されたので、彼の後を引き受けるように委ねられたからでした。翌年、私たちは、ブエノスアイレスの、以前志願院であったところにあるラモスメヒヤ に移動して、修練院を始めました。それはホセ・ヴェスピニャーニハウスの中にあり、ウィルフリッド・バロン校の隣です。この学校の寄宿舎で、教皇フランシスコは1949 年に6年生として在学していらっしゃいました。

 1996年の中頃、わたくしは日本に帰るようにという声を感じ始めましたが、これというはっきりしたものもなく、その上、1986 年にはアルゼンチンに帰化していました。ですから、故国日本に行くにしても一年だけ、いわゆる「休暇の年」の期間だけということになると考えたのでした。

2―2.第二の旅立ち:アルゼンチンから日本への帰還
 第二の旅立ちとは1997年2月27日の、アルゼンチン国籍のままでの日本への“帰国”だったと思います。わたくしは42才でした。
 日本への第一歩は、「日本人の顔を持ったアルゼンチン人」として。しかし、日本人の顔をして大変下手な日本語を話すわたくしに戸惑っている日本の人々を・・・みなさまのご想像に任せます。アルゼンチンで育まれた人生の部分が、全てにおいてではありませんでしたが、ゆっくりと消えて行く第二回目の自己統合でした。故郷の大分教区で滞在期間を終えようとした時、わたくしはある質問に答えねばなりませんでした。「自分はアルゼンチンに帰るべきだろうか」と。皆が「あなた次第だ」と答え、一年が過ぎ、わたくしは3年間の日本滞在のビザを移民局で取得しました。この荒れ野に身を置いている時、わたくしは アントニオ・マチャードによる「歩く人には道がない、道は歩きながら出来てくる」を歌いました。また、スペイン語で書かれている、インドの宣教者カルロス・ゴンサレス・ヴァジェスの本が、アルゼンチンで広く読まれていました。そして、ブエノスアイレスにいた時に、マリストホールで、それを直接聞くことができました。「歩くことによって道が出来る、今を生きる芸術。」

 日本での滞在はいつの間にか20年を越えることとなりましたが、その間も色々なアルゼンチンの作家の本を読んだり、音楽を聴いたりして、自分の中の内なる深い響きを取り戻していきました。たとえば、マメルト・メナパーチェ、カステリャーニ、アタウアルパ、レオポルド・マレチャール、ホセ・ラモン・ペレスと彼の「信仰が理解を求める」についての論文などを読み, 同様に、エドアルド・ファルのギター音楽や、アストール・ピアソーラのバンドネオンも助けになりました。

哲学者の中では、エティエンヌ・ギルソン による「系統的なリアリズム」、ロマーノ・グァルディーニ の「現代の終わり」、ヴォン・バルタザール の「愛のみが信仰に値する」、カール・ラーナー の霊的著作、J・ラッツインガーの 「信仰についてラッツインガー枢機卿との対話」、E・スヒレベークスの小本、「キリスト、神との出会いである秘跡」、またノーランによる「今日のイエス」などなど。

 また、日本語からスペイン語に翻訳された日本人作家の著書、小説、物語、エッセイ。わたくしはこの20年間、これらをむさぼり読んできました。遠藤周作から初めて、大江健三郎,川端康成、三島由紀夫,夏目漱石、そして村上春樹に至るまで。高山右近の列福がきっかけで、16世紀のイベリア半島からの大航海時代、日本はどのようであったかを調査しているエッセイを手に入れたことなど,それらは素晴らしい宝物ですが、不幸にもわたくしにはそれらの原文を読むことはできませんでした。

2―3.第三番目の旅立ち:
「羊の匂いのする牧者」(教皇フランシスコ)
 数日前、ローマ教皇大使 ジョセフ・チェノットゥ大司教に呼ばれた時、大使のご兄弟の家族が丁度その前の週にカレラからお見えになった時のように、外国から見えた方をわたくしに世話してほしいということだと思いました。大使はいつものようにほほえんで、サレジオ会の日本管区の仕事はうまくいっていますかと訊かれました。わたくしは、いろいろな課題に直面していますが、全面的な再編成に取り組んでいるところです、と申し上げました。大使は、今から教会のために新たな任務についていただきます、とおっしゃいました。教皇フランシスコは、あなたをさいたま教区の司教に任命なさいました、と。そこは2013年の中頃から、谷司教様の辞任により空位となっていて、岡田大司教様が教区の管理者を勤められていたのです。大使は今日のミサで読んだ福音に基づいてコメントしてくださいました。 「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか。」と。そして、イエスご自身であるかのように、大使はそれを二回繰り返されました。最後に4枚の白紙を下さって、教皇様へ任命に対する受諾の手紙を書いてくださいとおっしゃいました。
 教皇大使が話しておられる時、わたくしは特別な力をいただきました。というのは、幸いにも庭を見渡せる窓のシャッターが開けてあり、扶助者聖マリアの白い御像が見えました。これはよく分かりませんが、アルド・チプリアニ神父が管区長か財務担当だった時に寄贈した御像です。そしてマリア様に向かって、わたくしの全信頼を込めて、あなたのご加護を願い求めます、と心の中で祈り求めて、教皇様に手紙を書き始めました。

 教皇大使は10分後に、わたくしが受諾し署名した手紙を受け取りに戻られ、ローマにそれを送られるとのことでした。
 「親愛なるパパさま、教皇フランシスコ様」
わたくしは、1984年、子供の時にアルゼンチンに移住したドン・ボスコの一介の息子に過ぎません。公式に学校で教えるために1986年にアルゼンチンに帰化しました。わたくしは1992年以来ラモスメヒアにおりましたので、パパ様のお名前は、ブエノスアイレスのリニエルスのサンカジェターノに毎年8月7日に大司教として足を運ばれたことなど、噂で知っていただけでした。パパ様は、この聖地に、仕事を手に入れられるよう祈るために来た多くの人々と共にいらっしゃいました。とりわけ、アルマグロの扶助者聖マリアの大聖堂を訪問されたことをわたくしは知っていました。わたくしは、2014年4月20日に帰天するまでサン・カルロスの主任司祭だったホセ・レポヴス神父と修練院で同僚でしたので、彼から話を聞きました。そして、パパ様がカジェターノ・ブルーノ神父に送られた何通かの手紙のことも。この分かち合いはパパ様との対話であり、また全世界への祝福の願いでした。

 最後に、わたくしはこの教会司牧の奉仕に全く値しない者だと感じていますが、祝福をいただけるのなら、この司牧者としての仕事を謙遜な心でお受けします。

3.わたくしにとって、広大で素晴らしい、しかし、
未知なフィールドです。
サレジオ会はこれまで東京より北には行っていません。ですから、さいたま教区にはサレジオ会の活動拠点がありません。しかし、私たちには、卒業生やサレジオ会の友人が多くいます。さらに、わたくしは、埼玉、群馬、栃木、茨城の四つの県を担当するこの教区内に住んだことがありません。これらの県の全人口は1400万人を少し超えるくらいです。そして、カトリック人口は21,593人ですから、全面積22,647平方キロメートル内に、カトリック信者は人口の約0.15%しかいないことになります。しかし、もし、教区内に住んでいる外国籍の人たちの多くがカトリック信者だと考えたら、驚くことに、その数は10万を超える可能性があります。その上、仏教、神道など、他の宗教の信者で、イエスが教えているいつくしみを持って、困っている人を助けようとする人たちは福音を生きている人たちと考えれば、数はもっと増える可能性があります。さいたま教区には217人の奉献生活者(司祭、終身助祭、神学生、修道士と修道者)がいます。奉献生活者や信徒の国籍は様々です。日本人、韓国人、ブラジル人、フィリピン人、ベトナム人、ペルー人、アメリカ人、インドネシア人など。ある人たちは、20年、30年、これらの県に住んでいます。中には母国語を話さない子どもたちもいます。多くの研修生もいます。彼らは夢をもって、ここを約束の地であると期待して来ますが、実は様々な困難や苦しみにも遭遇しているのです。

教皇フランシスコがおっしゃっているように、移民や高齢者、家庭や学校などで困難に直面している子どもたちにとって、もっとサマリア的教会でなければなりません。日本に住んでいる若者を引きつける教会でなければなりません。この教区には、11 ブロックに54 の教会、51人の司祭と5人の終身助祭がいます。男性修道会が4、女性修道会は17あります。全体で、男女修道院数は27です。教育を通して、福音宣教する教会として、教区には19の幼稚園と保育園、私立中学・高校が4校、児童福祉施設が5つ、老人ホーム2つと黙想の家が5つなど、多数の施設があります。わたくしの就任1年目の望みは、すべての小教区と修道院を訪問すること。e-メールによるものではなく、すべての教会、すべての修道院を直接訪問することです。写真を撮って、名前と顔を早く覚えたいのです。
また、教会がある地域には、祈りと巡礼の場所である仏閣や、自然にも村々にも深く溶け込んでいる神社がたくさんあります。また、プロテスタント教会なども見られます。これらは、私たちが、霊的に、兄弟として、疑いなく、分かち合って行くべき価値のある、宗教的、また倫理的な富と言えましょう。

この教区内には、国際的に有名な都市もあります。筑波宇宙センターのあるつくば市、世界を驚かせ続ける電子システム創造のシンボルである日立製作所のある日立市、世界中からたくさんの巡礼者や観光客が訪れる東照宮を有する日光市などです。

4.結論:信仰者の共同体として、復活された
 イエスの証人となる
教皇大使との会話の中で、大使が強調されたいくつかのメッセージが私の中に刻まれています。
 さいたま教区には、全信徒の約75%、またはそれ以上の移住労働者がおり、多くは日本に20年、あるいはそれ以上滞在しています。最近、代理店などを通して3年〜5年契約の研修労働者も増えています。もっとも多いのが、ベトナム人です。もう一つの課題は、預言者的に教区を豊かにしてきてくれた修道会が、国内外で新しい召命を求める際のカリスマの活性化です。このカリスマは国内外で教区を預言者的に豊かにしていきます。教区長の導きとその権威のもと、教会運動との対話と共生もまた、大きな課題でしょう。多様化したメンバーが教区にとって最も大きな富です。「時は空間に勝る」(『福音の喜び』222) と教皇フランシスコが力説されるように、地理的に幅広いこの教区というフィールドで、神からの時のしるしを識別する訓練をする必要があります。そうすれば、私たちは、日本の社会の中で、復活されたイエスの真の証し人になれるのです。初期のクリスチャンが、イエスやキリスト教を知らなかった世界において、喜びをもって証し人であったように、私たちも、この社会で、貧しい人々や最も助けを必要としている人たちに開かれた教会として、復活されたイエスの証し人として生きるようにしましょう。

「使徒言行録」に記されている理想の証しを思い起こしましょう。「彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」(使徒言行録2:42-47)

 教会の母、また、私たちの母マリア様が、悪の力からいつも私たちを守り、常に浄配である聖ヨゼフの導きによって、私たちが人々に、特に、子供、若者、老人に奉仕することができますように。(完)


2013年新年の司教メッセージ

2012/12/28(Fri)
日本語ふりがな
"新しいぶどう酒は、新しい革袋に"(マルコ2:22)

さいたま教区の兄弟姉妹の皆様へ

クリスマスと新年おめでとうございます。

 昨年の10月から私たちは信仰年を迎えています。私たちは洗礼によって『信仰の門』をくぐり、信仰の道を歩んでいます。年始にあたり、使徒言行録、第2バチカン公会議、そして、さいたま教区の歩みについて述べながら、『信仰の門』について皆さんと分かち合いたいと思います。

使徒言行録
 パウロとバルナバは宣教旅行に出かけ、様々な困難や苦難を乗り越え、多くの異邦人たちを信仰に導きました。二人はアンティオキアに戻って、大きな喜びのうちに、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」(使徒14:27)のでした。
 その時、異邦人への宣教に関して、割礼が大きな問題となっていました。割礼はモーセの習慣に従うもので、イスラエルの人々の伝統的なしるしでした。イスラエルの人々は割礼を受けていない者は救われないと考えていました。そのため、割礼は異邦人にとって信仰の門に入るために大きな障害になっていたのです。
 そこで、使徒たちと長老たちが集まりエルサレムで使徒会議(はじめての公会議)を開きます。この公会議で、異邦人に割礼という重荷を負わせないことを決議したのです。これによって、福音を信じる人が誰でも洗礼を受け、共同体の一員になることが可能になったのです。パウロとバルナバが旅に出て、多くの人々と出会ったことがきっかけになって、信仰の門が世界のすべての人々に開かれることになったのです。

第2バチカン公会議 
 信仰の門が大きく開かれた公会議は、このエルサレム公会議とその1900年後に開かれた第2バチカン公会議です。第2バチカン公会議は、教会の刷新を図り、分かたれた兄弟姉妹と和解し、すべての人々、特に、苦しむ人々と連帯し、彼らに奉仕する教会を目指すものでした。この第2バチカン公会議で、信仰の門が改めて広く開かれることになったのです。エルサレム公会議では割礼という障害を取り除くことで信仰の門を開きましたが、第2バチカン公会議は教会自身が刷新されることによって信仰の門を開こうとしたところに特色があります。教会が刷新されることよって、教会が、神の救いの業に、よりふさわしく参与できるように神が招いてくださっているのです。
 イエスは「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」(マルコ2:22)と教えてくださいました。この言葉は第2バチカン公会議の特色をよく表しているでしょう。
教会とは、もちろん、神の民のことです。皆さん一人一人が、そして共同体が、神の言葉によって刷新され、人々との出会いの中で、神の言葉を伝えていきます。そのことによって、信仰の門が多くの人々に開かれるのです。

さいたま教区の歩み
 皆さんは東日本大震災と福島第1原発事故の被災者支援に積極的に取り組んでくださっています。被災者支援を通して、多くの被災者やボランティアと出会い、共にいることの大切さ、共に生きる喜びを体験することができました。この出会いの体験によって、私たち自身が刷新され、信仰の新たな光を見出すことができたのです。また、その他の様々なところでも、私たちは多くの人々、特に、小さくされている人々と出会ってきました。その出会いによって、私たち自身が刷新され、信仰を見つめなおすことになったのです。このように、私たちの信仰は、社会の出来事に関わることによって刷新されるのです。
 私たちは、身近なところでも、多くの人々と出会うチャンスがあります。沖縄の米軍基地問題など、普段の私たちの生活からは遠く感じる問題もあります。私たちが無関心でいることにより、苦しんでいる人たちもいます。その人たちとの出会いがまた、信仰の門を開くきっかけになるでしょう。
 私たちも宣教の旅に出て、大きな喜びのうちに、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」パウロとバルナバのようになりたいと願っています。
この1年、皆様に多くの人々との出会いの恵みがあるように祝福を送ります。

†全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆様の上にありますように。

2013年1月1日
さいたま教区司教
マルセリーノ 谷 大二


2012年新年の司教メッセージ

2011/12/28(Wed)
日本語ふりがな
"信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。"(ヘブライ人への手紙11:1)

さいたま教区の兄弟姉妹の皆様へ

クリスマスおめでとうございます。そして、新年おめでとうございます。

 2011年は東日本大震災が起こり、東北だけではなく、さいたま教区内でも広範囲に及ぶ被害がありました。皆様から、そして国内・海外からも多くの支援が寄せられました。この場を借りてお礼申し上げます。被害にあった教区内の施設については皆様が力を合わせて復旧に取り組んでくださいました。また、被災地であったにもかかわらず、皆様が東北の被災地を支援してくださいました。わたしは皆様に敬意を表します。そして、皆様のことを誇りに思っています。
 東北への支援活動の中で、多国籍教会として様々な支援が出来たことは素晴らしいことでした。炊き出し一つをとっても、メニュー、歌や踊りなども国際色豊かなものでした。それは被災地の人々に喜びのうちに受け入れられました。また、これまで教区として行ってきた傾聴ボランティアの養成講座も功を奏し、被災地での傾聴ボランティア活動もスムーズに始めることができました。

 この多国籍教会としての共同体作り、傾聴ボランティアの養成などは「さいたま教区の優先課題」として10年間取り組んできたものでした。そのほかにも様々な課題に取り組んできました。東日本大震災の被災者支援において、皆様の優先課題への取り組みが成果として表れたと言えるでしょう。

 わたしたちは2010年から1年かけて「さいたま教区の優先課題」を見直し、昨年の9月に「さいたま教区宣教司牧の基本方針と優先課題(2011〜2020年)」を策定しました。この新しいものができたのも、皆様がこれまでの優先課題について話し合い、理解を深めてくださったからです。新しい優先課題に取り組むことを通して、現代社会のただでキリストと出会いながら、キリストの教えを信仰共同体の中で共に学び、共に祈り、多くの人々と共に福音を生き、そして伝える力の溢れる共同体をめざしていきたいと思います。(1)

 大震災では2万人もの方々が一瞬のうちに亡くなられました。このことは私たちにとって大きな衝撃でした。私たちは死というものを目の当たりにし、死と復活、生きることの意味を見つめ直すことになりました。また、家族の絆、地域の絆がいかに大切なものであるのかを実感させられました。日常の生活の中で死と復活を見すえながら生きるということは、今の生を意味あるものとして一日一日を生活していくことです。それは一人ひとりの出会いを大切にし、絆を強めていくことにもつながるでしょう。私たちの教会共同体の中でも同じように信仰による出会いと絆の大切さを見直していければと思います。信徒、司牧者が共に同じテーブルを囲み、話し合い、主の恵みを分かち合って協働し、兄弟姉妹として、より豊かに成長することをめざしていきましょう。(2)

 新しい優先課題の一つに「東日本大震災の復興支援」が挙げられました。震災の復興支援はこれからも長期にわたって続けなければなりません。仮設住宅に住んでいる人たちへの支援も復興支援の大きな柱です。これからも被災地の方々との出会いを大切にしていきたいと思います。また、東日本大震災の被災地ばかりでなく、社会の中で、また、教会の中でも多くの人々が悩み、苦しんでいます。すべての人々が人間らしく生きることができるように、共に祈り、連帯し、行動していきましょう。(3)

 パウロはヘブライ人への手紙の中で「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と述べています。新しい年の始まりにあたって、このパウロの言葉を黙想し、希望のうちに新しい年を歩み始めたいと思います。わたしたちを希望のうちに導いてくださる神に感謝し、皆様に新年の祝福をおくります。

†全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆様の上にありますように。

2012年1月1日
さいたま教区司教
マルセリーノ 谷 大二


(1)「さいたま教区宣教司牧の基本方針と優先課題(2011〜2020年)」基本方針1
(2) 同 基本方針2
(3) 同 基本方針3


加藤智神父叙階式の説教(2011年2月11日)

2011/02/15(Tue)
さいたま教区
司教 谷 大二

今日、皆さんは歴史的瞬間に立ち会っています。英国国教会の司祭がこのアジアで叙階されるのは、おそらくこれが最初で最後になるでしょう。
2006年に加藤師に出されたベネディクト16世教皇の特別許可によって、英国カトリック教会の司祭としての道が開かれました。加藤師が英国から日本に移籍するにあたってはローマの教理省の認可が必要でした。バチカン大使、アルベルト・ボッターリ大司教様、英国司教協議会副会長のピーター・スミス大司教様、日本司教協議会会長の池長潤大司教様のご尽力によって、この2月に教理省の認可がおりました。それによって今日叙階式ができることになりました。この場をかりてこころからお礼申し上げます。
教皇様の特別許可には妻帯司祭の場合の条件がついています。今日、加藤さんの奥さんもお嬢様も参列されています。一つは、たとえ、奥様がなくなられても、再婚できないという条件です。さいたま教区には妻帯している終身助祭が5名おりますが、これは妻帯している終身助祭の場合も同じです。もう一つは、直接小教区を司牧する主任司祭にはなれないという条件です。しかし、協力司祭として司牧にあたっていただくことは可能です。一つ、間違えていけないのは、今回の叙階によって、妻帯司祭への道が開かれるということでは決してありませんので、誤解なさらないようにお願いいたします。
今回は条件付きの叙階式となります。加藤師はすでに英国聖公会の司教によって、叙階されていました。その英国国教会の司教様に司教としての継承権があれば、彼はすでに叙階された司祭となり、今回の叙階式をする必要がありませんでした。しかし、もし、その司教様に正当な継承権がないとすれば、ローマカトリック教会としての叙階が必要となります。いま、私どもにはその司教様に継承権があるかどうか判断できる材料がありませんので、もし、継承権がなければ、という条件のもとでこの叙階式を行うことにいたしました。いずれにせよ、この叙階式によって、かれは正式にローマ教皇のもとに戻った司祭となります。

 さて、加藤智さん、あなたはこの叙階式の聖書の朗読個所をご自分で選んで下さいました。今日の朗読個所は聖木曜日、すなわち、「主の晩餐の夕べのミサ」からとられています。福音には「最後の晩餐」の場面が描かれています。あなたがこの個所を選ばれた理由は私にはよく分かります。秘跡、特に聖体の秘跡を大切にし、それを中心にした司祭生活をこころから望んでおられるからでしょう。聖体は司祭としてのアイデンティティの源泉でもあります。
 聖体は実にキリストそのものです。パウロはフィリピの信徒の手紙の中で次のようにキリストにおける出来事、生涯を美しく、端的に述べています。「キリストは神の身分でありながら、神と等しいものであることを固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分となり、人間と同じものになられました。キリストはへりくだって、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。」
 このキリストの歩んだ姿、愛の行為、愛の出来事がご聖体のうちに実現しています。ご聖体をいただく私たちは、「へりくだって、しかも十字架の死に至るまで従順であった」キリストと一致することによって、自分自身が解放され、救いへの道を歩むことができます。また、「僕の身分となり人間と同じものになられ」て、抑圧された人々、小さくされた人々のところに進んで近寄っていかれたイエス姿に、わたしたちは近づき、一致することができるのです。そこにわたしたち、自分自身の解放の道があります。その解放なしには私たちは司祭として生きていくことができません。
 聖体、つまり一つのパン、一つのからだにつながり、結ばれることによって、わたしたちはすべての人と交わりを深めることができます。キリストにならって、へりくだり、人々への愛を実現していくことは、司祭として奉仕することです。それは、見えるものと見えないものの創造主である神のみ業に参与することにつながります。
 司祭としての奉仕の生活、そして人々のつながり、それは共に解放の道を歩んで行くことであり、神の創造のみ業に共に参与することです。その中心には、いつも神の愛の実現であるご聖体が中心にあります。
 さいたま教区の司祭団はあなたを喜んで迎えます。私たちはその準備も行ってきました。さいたま教区すべての兄弟姉妹とともに、キリストの歩んだ道を、共に歩んでいただきたいと思います。
兄弟姉妹のみなさん、今日、教皇のもとに司祭としてもどられた加藤智師と共に喜びを分かち合い、共に祈っていただきたいと思います。
神に感謝


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