カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第8回「断食」  2018. 2.16 説教


第一朗読:イザヤ58.1〜9a

福音朗読:マタイ9.14〜15
そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。

説教
 今日はお二人のご命日を記念するミサをお献げいたします。ラウレンチオ長江恵司教様は、1998年2月11日に帰天されました。シャール・アンドレ神父様は、2012年2月16日、2月16日ですから今日ですね、お亡くなりになりました。お二人とも浦和教区、さいたま教区のために多大なる奉仕をしてくださった方でございます。心から感謝申し上げると共に、慈しみ深い神様がお二人の生涯に豊かな報いをお与えくださるようにお祈りしたいと思います。

 今日は四旬節に入って3日目ですかね。灰の金曜でございます。四旬節は、祈り、苦行、施しの時とされております。今日の福音では、イエスの弟子たちが断食しないのはどういうわけかと、ヨハネの弟子とファリサイ派の人々はよく断食するのに、イエスの弟子たちはなぜ断食しないのか、とイエスに尋ねたというところが選ばれている。

 「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。」

 そうお答えになったと記されています。これはどういう意味であろうかと考えますに、折しもわたしたちは四旬節に入り、4月1日の復活祭を目指して歩んでおります。イエスの受難、十字架の出来事をわたしたちは記念する時を迎えます。花婿が奪い取られる時というのは、イエスの受難、ご死去を指しているのではないかと思います。

 さて、今日はイザヤ書58章で、断食について述べられている。昔の人はよく断食したようですし、今でもイスラム教徒は断食をすることを大切にしているそうです。昔の教会は四旬節が毎日断食の時であったのではないかと思いますが、わたしたちは灰の水曜日と金曜日、聖金曜日が断食の日となっております。断食をしても神様が認めてくださらない場合がある。どういう場合に神様は苦行、断食を認めてくださらないのか、そのことが今日のイザヤ書で述べられている。どういう場合でしょうか。外見上、断食をし苦行をしてもその人々の心と行いが神様のみ心に沿っていない、神様のみ心に適っていない場合、そのような断食は神様が受け入れる断食ではないのだと言っているのであります。してはならないことをし、すべきことをしていない。人々を苦しめたり、虐げたり、あるいは人々と争いやいさかいを起こす、そういう人の断食は神様がお喜びにならない。飢えた人に食べ物を与えること、寝る所がない、今で言えば難民でしょうか、その日ゆっくり休むことができない人を泊めてあげる、着る物がない人に着物を着せる。いろいろな人を援助することが本当の断食であると、そういう行為が伴わない、形だけの断食は神様がお喜びにはならないのだと言っているようであります。

 もう一度わたしたち自身のことを反省してみると、してはならないことをしてはいないだろうか、するべきことをちゃんとしているだろうか、怠りの罪を犯していないだろうか、そう考えるとわたしたちにもたくさん思い当たることがあるのではないかと思う。

 四旬節に入り、特別に祈り、節制し、そして施しをする時でありますけれども、本当に施しというのは何のためにするのか、自分の満足のためではない、自分の誇りのためではない、本当に必要としている人に必要なことをして差し上げるのでなければならないのであります。どうかわたしたちが神様のみ心にかなった良い行い、施し、支援をすることができますよう祈りたいと思います。


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