カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第72回「どこまでもイエスに従う」  2018. 8.26説教


年間第26主日
2018年8月26日(日) 大宮教会

第一朗読:ヨシュア24.1-2a、15-17、18b
第二朗読:エフェソ5.21-32
福音朗読:ヨハネ6.60-69

福音
(そのとき、)弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。
 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

説教
今日の福音はヨハネの福音の終わりの部分であります。わたしたちは5回の日曜日を続けて、ヨハネの福音の6章を学んできました。イエスは多くの群衆のために5つのパンと2匹の魚を増やして5千人の人のための食べ物となさいました。人々は大変喜び、イエスを王になってもらいたいとさえ考えたようであります。しかし、その後、イエスが、わたしは天から降ってきたパンであると言われたあたりから、彼らにはイエスのことがわからなくなってきたようであります。今日の福音の冒頭で、多くの弟子たちはイエスにつまずいて言いました。
「実にひどい話だ。だれがこんな話を聞いていられようか。」
「わたしは天から降ってきたパンである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。」
とイエスは言われた。この言葉は多くの人にとっては理解しがたい、受け止められない言葉であり、つまずきとなったのであります。多くの人は、もはやイエスと共に歩もうとはしなくなった。そこで、イエスは12人に聞きました。
「あなたがたも離れて行きたいか」
12人を代表してペトロが答える。
「主よ、わたしたちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
このペトロの言葉は、わたしたちが聖体拝領する時、その直前に唱える言葉であります。
「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたを置いて誰のところへ行きましょう。」
第一朗読を思い出してみますと、ヨシュア記において、ヨシュアは自分の地上の生涯が終わろうとすることを知って、人々に、改めて信仰の決断を求めました。わたしとわたしの家族は主なる神に従います。あなたがたはどうしますか。信仰とは、絶えず決心を新たにすることを求められることです。わたしたちも、日々、特にミサ聖祭に与る時に、自分の信仰を新たにし、信仰の決断を表明いたします。キリストの前に立ち、そして、キリストの御体を頂く時に、わたしたちは信仰宣言をする。わたしたちはあなたを信じています、あなたと共に歩みます、あなたに自分のすべてをゆだねます、そのように信仰宣言をして、ご聖体をいただくのであります。イエスはヨハネの福音の中で言われました。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ誰も父のもとに行くことができない。」
また、次のようにも言われた。
「永遠の命とは唯一の真の神であるあなたとあなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」
イエスを信じ、イエスと共に歩み、そして、生涯を父なる神様にお献げすることがわたしたち信仰者の歩むべき道であります。日々の生活の中で、わたしたちは自分の信仰を確かめ、新たにしなければならない。時として、信仰の困難、信じることについての難しさを感じることもあるかもしれません。信じるということは、人間にとって、本当に生涯にわたって、神の助けを必要とする、非常に重大な決断であると思います。
日本の教会の現状を省みる時に、わたしたちの教会は、一生懸命、誠実に、いただいた使命、福音宣教に励んでまいりましたが、なかなか進展しないという実感もあります。どうしてなのだろうか。どうしたらよいのだろうか。そういう風に思い悩まないわけではない。しかし、わたしは世の終わりまであなたがたと一緒にいる、と言われた主イエス・キリストを信じ、そして、聖霊の助けを信じて、毎日の教会の歩みを続けて参りたいと思います。



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