カトリックさいたま教区
ホーム・Home初めての方へ・Welecomeお問い合わせ・Contactサイトマップ・Sitemapご利用について・Conditions of Useリンク・Links文字サイズ・Text sizeQRコード
カトリックさいたま教区

信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

一覧表に戻る

■ 第70回「弱さと愚かさの上に建てられた教会」  2018. 8.24説教


2018年8月24日、浦和教会

第一朗読 黙示録21・9b-14
福音朗読 ヨハネ1・45-51

福音
(そのとき、)フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

説教
聖バルトロメオは12使徒の一人で、使徒フィリッポの導きでイエスと出会い、イエスの復活・昇天の後、インドに福音を伝え、そこで殉教したと伝えられています。
今日の福音ヨハネの1章で出てくるナタナエルはバルトロメオと同じ人であると考えられ、今日の福音は、使徒バルトロメオの召命を告げています。イエスは彼に言われました。
「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りす
るのを、あなたがたは見ることになる。」
この言葉は何を意味しているのでしょうか。イエスの呼びかけを受けた弟子たちは、次第にイエスが誰であるのかを知るようになります。この言葉は、おそらく、イエスが神の子メシア、父なる神と人類の間の唯一の仲介者であることを予め語っていることばであると思われます。
さて、イエスの弟子たちは、ペトロをはじめとして、特に学問のある人、身分・地位の高い人、財産のある人ではありませんでした。彼らはごく普通の、素朴で無学な漁師であり、庶民であったと思われます。わたしたちと同じ弱い人間であり、欠点を持ち、また過ちにも陥る人でした。しかし、この人たちが、イエスの復活・昇天・聖霊降臨を体験して、信仰の深い、神の知恵に満ちた勇敢な福音宣教者として生まれ変わったのです。ここに教会の誕生の神秘があります。
ニケア・コンスタンチノープル信条で、わたしたちは、
「わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます」
と宣言します。使徒的とは、英語で言えばAPOSTOLICという言葉で、以前は、「使徒継承の」と訳されていました。それは、12使徒をはじめとするイエスの最初の弟子たちから、絶えることなく、連綿と使徒の務めが司教によって引き継がれている教会である、という意味を現していました。「使徒的」と言えば、さらに、使徒たちを礎として建てられた教会である、という意味が込められています。わたしたちの教会は、わたしたちと同じ人間、弱さ、欠点を持ち、罪に陥る使徒たちの体験の上に建てられた教会であります。この点について使徒パウロは言っています。
「神の愚かさは人より賢く、神の弱さは人よりの強い。」(1コリント1・25)
主イエスの十字架に、神の愚かさと弱さが現れました。十字架はユダヤ人にとっては躓き、異邦人にとっては愚かなものですが、それは神の力、神の知恵なのです。

一か月後の9月24日、マリオ山野内道昭司教叙階式を迎えます。わたしたちが新しい司教を中心に、神の力、神の知恵をより深く信じ、聖霊の導きに信頼して歩むことができますよう、祈ります。




一覧表に戻る