カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第61回「イエスを殺そうと相談した。」  2018. 7.21説教


年間第15土

第一朗読:ミカ2.1-5
福音朗読:マタイ12.14-21


福音
(そのとき、)ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。
 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「見よ、わたしの選んだ僕。
 わたしの心に適った(かなった)愛する者。
 この僕にわたしの霊を授ける。
 彼は異邦人に正義を知らせる。
 彼は争わず、叫ばず、
 その声を聞く者は大通りにはいない。
 正義を勝利に導くまで、
 彼は傷ついた葦を折らず、
 くすぶる灯心を消さない。
 異邦人は彼の名に望みをかける。」

説教
今日のマタイの福音でイザヤの預言が引用されています。「傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。」という表現で表されている主の僕の姿を伝えています。「傷ついた葦、くすぶる灯心」とは、今にも消えそうになっている、傷ついた弱いいのちを表しています。このような、今にも消えてしまいそうないのちを大切に思い、労わる主イエスの心がこの言葉に表されているのだと思います。そのようなイエスの生き方は、安息日に癒しを行うという形で現れた。今日の福音の冒頭で、
「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。」
とあります。そうすると、この直前に何が書かれているかということが大切なのですが、それは、12章9節から出ていまして、片手の萎えた人がいて、会堂でその人を癒していることが告げられている。その時、イエスが言われた言葉は次の通りです。
「あなたたちのうち、だれが羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」
同じ話がマルコ、ルカ福音書にも出ています。3章ですか、マルコの方はもっとはっきりと
述べている。
「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」
彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。イエスが殺されるようになるきっかけとなった出来事は安息日に手の萎えた人を癒したという出来事であったかもしれないと思います。




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