カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第6回「心の貧しい人々は幸いである」  2018. 2.12 説教


第一朗読 イザヤ43・1-4
第二朗読 フィリッピ2・5-11

福音朗読 マタイ5・1-12
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

説教
 ガリラヤの湖のほとりには イエスを求めて多くの人々が集まっていました。彼らは貧しい人、病気、障害に苦しむ人、悲しみに打ちひしがれた人、その存在を圧迫され、蔑まれ、差別と暴力に苦しめられている人、生きる力を削がれている人でした。

 湖のほとりの丘に登って腰を下ろしたイエスは 彼らに言われました。

「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。・・・・」

 どうして、そのような悲惨な状態にある人々が「幸いである」と言えるのでしょうか。幸いである理由は ただ神の側、神の方にあります。神はその人々をご存知であり、その人々の側に立っておられ、その人々と一緒に歩んでくださいます。

イエスの示した神は 出エジプトの指導者モーセに現れた神であり、バビロン捕囚の際に 預言者イザヤを通して語られた神です。神は ナザレのイエスを通して 余すところなく ご自分の愛、慈しみを示されました。

 ナザレのイエスの示した神を宣べ伝えるために、わたしたちの教会が設立されたのでした。教会は 主イエスの福音を宣べ伝え、実行するために設立されたのです。弱い人間、罪びとであるが、主イエスに倣って主イエスの使命にあずかり、実行するためには 神の霊の導きと助けが必要です。

 2000年の歴史を通して、教会は、絶えず反省と刷新を繰り返してきました。1965年に閉幕した第二ヴァチカン公会議を受けて、日本のカトリック教会は二回にわたり、福音宣教推進全国会議(NICE,1987年と93年)を開催しました。それは 貧しい人々、弱い立場に置かれている人々、自らに頼る力のない人々、人生の歩みに迷い悩む人々に対して、わたしたちの共同体を「開かれている教会」に変革していくことを心から願ったからでありました。NICE開催から30年を経過し、その趣旨はどのように理解され、実施されているでしょうか。

 依然として、なんと多くの人が人生に行き暮れ、生きる力を削がれていることでしょうか。多くの人々は 心身の貧困と孤独に苦しんでいます。その人々に、神の思い、慈しみを伝え、かつ、実行することが、わたしたちに向けられている、緊急 かつ 切実な要請です。わたしたち自身、主イエスに倣って、貧しい人として、人々と共に過ごし、互いに助け合い、尊敬し合うようでなければなりません。それは使徒パウロがフィリッピ書で述べている通りです。

 「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。」(フィリピ 2・3-5)

 この教えは、国家と国家、民族と民族との間にも当てはめられなければなりません。ここで、わたくしは、我が国の憲法の前文を想起します。

 「われわれは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じる。」(日本国憲法・前文)

 さて、ウエイン・バーント神父さんの司教叙階を迎え、わたしには特別な思いがあります。わたしたち日本カトリック司教協議会のメンバーは全員日本国籍の日本人でした。多分、アジア・太平洋戦争の前から始まった、80年くらい続いてきた伝統です。日本の教会の国際化・多国籍化に伴い、外国籍の司教の存在が切に望まれるようになりました。このわたしたちの願いが今回のウエイン神父の司教叙階によって叶えられることになりました。ウエイン司教の司教団での活躍に大いに期待しております。

 もう一つ大切なことに触れたいと思います。主イエスは言われました。

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)
平和の実現のために働くことは キリスト教徒に限らず、すべての人の最も重要な任務です。平和は、まず各自の心の中に樹立されなければなりません。同時に、心の平和は地上の平和と結びつくのでなければならないのです。誰でも思うことですが、沖縄という場所は、地上の平和の実現のために、実に重要な場所です。沖縄には人類が抱えている問題が集中しており、戦争と深いかかわりのある軍事基地が存在しています。この問題の解決なくして 地上の平和の実現は困難です。

 いま司教に叙階される、わたしの愛する友であるウエインさん、
あなたは優れた牧者であり、また優れた霊魂の指導者、カウンセラーでもあります。
また、あなたは、アメリカ国籍の人であり、そして、平和の使徒聖フランシスコの弟子であり、今 那覇教区の司教になられます。新司教には、地上の平和の実現のために 格別の配慮と努力をお願いいたしまして、司教叙階式に当たってのわたくしの言葉の結びといたします。


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