カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第58回「悪霊を追い出し、病人をいやし」  2018. 7.15説教


年間第15主日、東京教区茂原教会

第一朗読  アモス書 7:12-15

第二朗読  エフェソの信徒への手紙 1:3-14
 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
《キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。》

福音朗読  マルコによる福音書 6:7-13
 (そのとき、イエスは)十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

説教
今日は年間第15主日です。主イエスは12人の弟子たちを二人一組にして派遣されました。その際、命じて言われました。
「汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、
袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた。」
大変身軽で簡素なスタイルです。実は、わたくしは、昨日も引っ越しをいたしました。司祭になって何度引っ越しをしたことでしょう。引っ越しの度に持ち物が増えてしまいました。自分でも呆れます。持ち物に振り回されている毎日だとも言えます。
先週の金曜日から木曜日日まで、わたくしが出席する司教の会議の最後の会議に出ました。これで最後です。カトリック教会は会議が多いです。思えば、わが教会は、頻繁な会議だけでなく、複雑な組織と制度、多くの規則と習慣をもった教会であり、それを守り行うだけで多大の時間とエネルギーをとられます。組織というのは大きくなると、それを維持管理するために大きな力を必要とするようになり、そのための費用と設備が膨大になります。わたしたちは、本来の簡素で身軽な、軽装備に戻りたいものです。

イエスは弟子たちに「汚れた霊に対する権能を授け」、弟子たちは「多くの悪霊を追い出し」ました。先週の司教の会議で「祓魔師」が話題になりました。「祓魔師」とは、いわゆる〈悪魔祓い〉です。以前、カトリック教会では〈悪魔祓い〉という役割を担う人々の任命が行われていました。
そこで、皆さん、思い出してください。信者は、洗礼を受けたとき、
「悪霊とその技を捨てます」という約束をしているのです。堅信の秘跡を受けた時にも同じ約束を更新しています。いわばわたしたちは、信者になるときに悪霊の追放をうけたのです。しかし、悪霊の追放は一回だけでは終わりません。わたしたちは日々主の祈りを唱え、主の祈りの結びにおいて、「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」と祈っています。「悪」とは悪の力、悪の誘惑であり、また悪霊の働きでもありと考えられます。司祭は、主の祈りの直後の副文で、さらに祈ります。
「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、
  現代に平和をお与えください。
  あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて
  すべての困難に打ち勝つことができますように。
  わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを
  待ち望んでいます。」

「平和」は聖霊のたまものです。使徒パウロはガラテヤ書で述べています。
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、
節制です。」(5・22-23)
霊の働きの実りであるこのような善き思いが人間の心には宿っています.しかし、いつもわたしたちの心はこのような思いであふれているというわけではなく、悪しき思いにも捉えられることがあります。それはいわば悪の力、悪霊の働きの結果であります。パウロはガラテヤ書で、人間関係についての悪い思いを、肉の業と呼び、次のような心の状態を挙げています。
「敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、妬み。}(ガラテヤ5・19)

第二朗読エフェソ書は言います。
《あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。》
わたしたちは聖霊の刻印を受けています。聖霊の働きを信じ祈りましょう。
まもなく8月、平和旬間を迎えます。いつも思い出すのはユネスコ憲章前文の次の言葉です。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
心の中に平和を、心の中に平和の砦を、心の中に聖霊の実りを、悪に打ち勝つための聖霊の助けを、今日もご一緒に祈り求めましょう。






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