信仰講座 ARCHBISHOP COUSE
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■ 第56回「新しく生まれ変わる」 2018. 7.7説教
年間第13土曜日 さいたま教区司教館 第一朗読:アモス9・11-15 福音朗読:マタイ9・14-17 福音 (そのとき、)ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」 説教 今日は7月7日、明日が年間第十四主日となります。二週間ほど前の主日が洗礼者ヨハネの誕生の祭日だったと思います。その時に、改めて考えてみたことがあります。ヨハネの誕生がどうして大切なのであるか、ということから、イエスの登場を準備した洗礼者ヨハネの役割を考え、さらにイエスの登場によって新しい時代が始まったということに思いを馳せました。 今日の福音では、有名な言葉ですが、新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ、とイエスが言われました。この断食についての論争から発展して出てきた話ですけれども。 洗礼者ヨハネは、荒れ野での厳しい生活、イナゴと野蜜を食料とし、らくだの皮を着ていたという大変すさまじいスタイルの生活でしたが、イエスは人々と交わり、一緒に食事もし、一般の人々との生活をいわば楽しんでいた面もみられます。そして、イエスは、洗礼者ヨハネについては、およそ今までに生まれた人の中でヨハネほど偉大な人はいなかったと言いましたが、さらにそのすぐ後で、天の国ではどんな小さな人もヨハネよりは偉大であるという、分かりにくい、どういうことだろうと思わせる、そういう言葉もあります。 天の国(神の国)は、イエスによって到来しました。ここに新しさがあります。 「新しいぶどう酒は新しい革袋に」とイエスは言われた。どういう意味だろうか。 「新しい」とはどういうことだろうか。「新しい」とは魅力ある言葉です。人は新しく生まれ変われたらどんなにいいだろう、と思う。イエスの到来は人々に希望をもたらしました。それは新しく生れかわることができるのではないか、という希望です。 イエスの言葉によれば、だれでも、人は新しく生まれ変わることができるのです。どんな惨めな人生も、最期の最後のときまで新しく生まれ変わる可能性を与えられている。どんな過去があっても、どんな難しいというか、痛ましいというか、醜い過去があっても、一切を清算し、一切を清らかにし、過去を清めて、新しい人間として生まれ変わることができるのです。これがわたしたちの信仰です。 ところで昔の始業の祈りでは、 「主よ、聖霊を遣わし給え、しかして、よろずのものは造られん。地の面は新たにならん。」 と唱えていました。 毎日、聖霊を受けて、今日も昨日よりは新しく、そして明日もっと新しく生まれ変わり、新しい自分になることができると信じて、そのための聖霊の恵みを祈りもとめたいと思います。 |
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