カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第54回「イエス、悪霊に憑りつかれ、墓場を住まいとする人を癒す」  2018. 7. 4説教


年間第13水曜日
2018年7月4日ミサの福音

第一朗読 アモス5・14-15、21-24
福音朗読 マタイ8・28-34


朗読
(並行箇所 マルコ5・1-20、ルカ8・26-39)
 (そのとき、)イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。

説教
 わたしたちはミサに与るたびに福音の朗読を聞き、主イエスが誰であったのか、何をなさったのか、どのように生きられたか、ということを学びます。
福音書を読めば、目立つ記述は、イエスは癒す人だった、ということです。病気の人、身体の問題に苦しむ人を癒し、悪霊を追放する人であった、ということです。
今日の福音朗読は、墓場に住んでいる、悪霊にとりつかれた二人の男性を癒されたという話です。出来事の場所はガダラ(マルコ、ルカではゲラサとなっている)というところです。「二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほど」でありました。同じ物語をマルコとルカの福音はさらに詳しく述べていますが、マルコとルカの福音によれば、この人たちは二人ではなく一人であったようです。その人がいか狂暴であったかについて、マルコの福音では次にように述べられています。
 「度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、誰も彼を縛っておくことができなかったのである。」
ルカによれば
「この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場をすまいとしていた。」
その人がいかに狂暴かつ異常であり、また、彼の非常に悲惨な様子が伝わってきます。彼は完全に反社会的存在とされ、人間社会から一切の連絡を遮断され、排斥された存在であり、もはや人間とはみなされていない状態でした。彼(彼ら)はまさに、人間の尊厳を奪われた扱いを受けていました。心は深い闇で閉ざされていたことでしょう。その人は、生きる意味を喪失していた、体はまだ生きていてもその霊魂は死んだも同然の人間でありました。
 そのような非人間的な病的状態は悪霊の仕業であると考えられていました。悪霊は悪の存在、悪の勢力をいわば人格化した存在です。わたしたちは、日々、主の祈りで
「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」
と祈ります。まさにこの二人は悪に絡めとられ、悪に踏みにじられた人たちでした。聖なる人、神の人であるイエス、悪を追放するために地上に来られた神であるイエスとの接触は、悪そのものである悪霊の存在を追い詰めました。悪霊どもはせめて自分たちをブタの群れに入らせるようイエスに頼みます。
 このあたりに記述に当惑させられますが、「豚」とはユダヤ人にとって不浄な生き物、決して食用に供してはいけない動物でした。この出来事が起こったガラサは異邦人の地で、豚は貴重な食品となっていたと思います。多数のブタがおぼれ死んだのはガダラの人にとっては多大な経済損失でした。イエスが救った二人の男よりのブタの食品価値の方が重要だったからか、人々はイエスに、ガラダから出ていくように頼んだのでした。
ところで癒された人について、マルコとルカによれば、正気に戻り、服を着て座っていた、とあり、さらに彼は、イエスに同行することを願ったが、イエスは家に帰って自分の身内に起こったことを話すように言われたので、彼はその地方で自分の身に起こったことをすべて言い広めた、とのことです。
 この物語は現在の日本社会でどのような意味を持つでしょうか。他人事とならず、考えさせられる不思議な物語です。





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