カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第49回「天に富みを積み、心に光を受けなさい。」  2018. 6.22説教


パウロ篠原恒一神父 命日記念ミサ

2018年6月22日(金)浦和教会

第一朗読:列王記11・1-4、9-18、20
福音朗読:マタイ6・19-23


福音
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。
  体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」

説教
パウロ篠原恒一神父様は1995年6月23日に帰天されました。司祭としての長い生涯の間、いろいろな奉仕を献げてくださいました。困難な人生の体験の中で、神の御心に適わない、間違ったことをしてしまったかもしれません。謹んで、神父様のために安息をお祈りいたしましょう。

さて、イエス・キリストの福音は神の国の福音と言われております。年間第11主日の福音はからし種を蒔くというたとえで神の国の福音を語られました。神の国という言葉は分かりにくいかもしれませんが、神様のみ旨、神様の御心が行われた時、そこに神の国が来ていると教えております。そう言えば、わたしたちは、毎日主の祈りを唱え、み国が来ますように 御心が行われますように、と祈ります。わたしたちが祈らなければ、神様の御心が行われないというわけでは毛頭ないのですが、わたしたちを通して、わたしたちによって、いささかでも神様の願いが実現しますようにという意味で祈っているのであります。
折しも、昨日のミサの福音は主の祈りの箇所でありました。

さて、今読まれました福音であります。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。天に積みなさい。」
これはどういう意味であろうか。富というのは何を意味しているだろうか。わたしたちはこの教えをどのように実行しているだろうか。あなたの富のあるところにあなたの心もあるとも言われました。わたしたちが大切に思っていることは何だろうか。とっさの場合には一番心にかけていることを思い出し、それを守ろうとするのでありますが、それは何であろうか。わたしたちは、個人としても、るいは教会としても、財産とか、もっと分かりやすく言えば、建物とか預貯金とか持っている、管理している。それをちゃんと守らなければならないし、損したりしないようにしなければならない。これが心配事であります。心配しすぎて、いつもそのことばかり考えてしまうというのはどうかなと思いますが、でもどうでもよいというわけにはいかないわけであります。天上に富を積みながら、お預かりしているものをきちんと使っているか、が大切です。では、その点で、人はともかく、自分はどうかなと思わざるを得ない。

「体のともしびは目である。目が澄んでいれば、全身が明るいが、濁っていれば全身が暗い。」
この言葉も胸にこたえる内容であると思います。心の中に光が溢れていれば、おのずからその光はその人の体から、特にまなざしから溢れてくるわけでありますが、闇があれば、闇というのは一時的にごまかすことはできても、闇があることはごまかししきれないわけであります。人間の中に、そしてわたしたちの教会の中に闇はあります。確かにあります。

「心の清い人は幸いである。その人は神を見る。」
と言われました。心が清い、それはイエス・キリストの復活の光で満たされた心ではないでしょうか。わたしたちは自分で自分の光を創ることはできないんです。光は受け取らなければならないんですよね。どこから光は来るか。それは神様から、イエズス様から来る。そう言えば、ニケア・コンスタンチノープルの信条で言っております。
「神からの神、光からの光、まことの神からのまことの神である主イエス・キリスト」
わたしたちの心はほっとけば池の水みたいなもんでだんだん濁ってしまう。いつも聖霊の導きに応えて、そして、生き生きと神様とともに歩むことができますよう、それは聖霊の働きによるのであります。ご一緒にお祈りいたしましょう。



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