カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第5回「重い皮膚病とは」  2018. 2.11 説教


第一朗読 創世記3・16-19
第二朗読 一コリント10・31-11・1
福音朗読 マルコ1・40-45

福音
さて、らい病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまちらい病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

説教
 今日の福音は「重い皮膚病」の人の癒しの話です。

「重い皮膚病」は従来「らい病」と訳されていましたが、それは不正確であり、不適切であるとされ、「重い皮膚病」という訳が採用されています。現在「新共同訳」の改訳作業が進められており、この訳語が引き続き採用されるようですが、それには反対の声もあり、この言葉の翻訳は難しい問題となっています。 

 旧約聖書の「重い皮膚病」の原語は、ヘブライ語の「ツァラアト」です。ヘブライ語がギリシャ語に訳されたときに、「ツァラアト」はギリシャ語の「レプラ」となりました。このレプラが「らい病」と訳されたわけです。

 さらに「らい病」の細菌が発見され、発見した人の名前から、この病気は「ハンセン病」とも呼ばれるようになりました。

 さらに、ヘブライ語の「ツァラアト」がハンセン氏病とは同じ病気であるとは言えない、ということが明白になってきました。「ツァラアト」は家屋についた「かび」を指す場合にも使われています。原語の「ツァラアト」は本来どのような意味を持っているのか、いまなお不明であり、論議が続いているようです。

 1873年、ノルウエー人のハンセンにより「らい菌」が発見され、また、1843年、特効薬プロミンが発見され、現在は、らい菌は極めて感染力の弱い菌であり、ハンセン病は容易に治癒可能な病気である、ということが分かってきました。しかし、既に人々の意識の中にある偏見と差別には抜きがたい面があり、なかなか消滅するわけではありませんでした。「ハンセン病」は忌まわしい業病とされ、依然として、人々の偏見と差別を受けてきました。

 日本でも、「らい予防法」によって、らい患者は長い年月、家族、地域から療養所に隔離されてきました。1996年になってようやく「らい予防法」が廃止され、2001年になってから熊本地方裁判所により「らい予防法」の違憲判決が出されたのでした。(松本清張小説「砂の器」は、ひたすら身元を隠匿するハンセン病者の子どもの犯罪の悲劇を描いています。)

 レビ゙記によれば、「重い皮膚病」に患った者は、「わたしは汚れた者です。わたしは汚れた者です」と叫ばなければならないとされ(レビ13・45)、「重い皮膚病」の人は汚れた者なので、「清め」を受けて初めて社会復帰することができました。そして、治癒して、社会復帰するためには、祭司による認証が必要でした。

 今日の福音で、イエスはそのことを言っています。
「重い皮膚病」の人は必死の思いでイエスに近づき、『御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言ったのでした。その人を見て、「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、《よろしい。清くなれ》と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」のであります。さらにイエスは言われました。
 
 「行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」

「重い皮膚病の人」の受けていた苦しみは、病気自体による苦しみだけではなく、社会から排除され、隔離され、蔑視され、差別、偏見、嫌悪の的となる、という、人間として耐えがたい惨めな体験でありました。その彼は、ナザレのイエスの評判を聞いて、勇気を出してイエスに近づき、助けを求めたのでした。

 さて、わたしたち日本のカトリック教会は31年前(1987年)に、福音宣教推進全国会議(NICE)を開き、弱い立場におかれた人々、苦しみ悩む人々に開かれた教会共同体の建設を目指したのでした。

 日本でもなお「重い皮膚病」の人が差別され排除されている現実があります。さらに、種々の他の原因・理由から、病気、差別、心身の障害、孤独と差別に苦しむ人が少なくはありません。イエスの弟子となったわたしたちは、「重い皮膚病」の人とイエスの話をいかに受け止め、イエスに倣う生き方をしているのか、今、反省する必要があると思います。


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