カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第46回「人間の中に既にまかれている神の言葉」)  2018. 6.16説教


年間第11主日 
カトリック浦和教会

第一朗読:エゼキエル17.22-24
第二朗読:二コリント5.6-10
福音朗読:マルコ4.26-34


朗読
(そのとき、イエスは人々に言われた。)「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。


説教
今読まれましたマルコによる福音はからし種についてのたとえ話であります。この話をどのように受け取ったらよいでしょうか。
からし種というのは非常に小さいそうです。しかし、土にまくと芽を出して成長して、そして大きな木になる。第一朗読と詩編ではレバノン杉という言葉が出てきますし、なつめやしという言葉も出てきますね。大変大きな立派な木であるようです。そういうように立派な大きな木に成長するよ、ということを言っているようであります。
神の国はこのからし種が成長することと同じですよ、と言っているのだと思います。イエスの福音は、神の国の福音と呼ばれています。神の国というのは、神様の御心が行われていることであると思います。
わたしたちは主の祈りを毎日祈っています。「御心が行われますように。」と。神様の御心が実行される時に、そこに神の国がある。この神の国は神様がこの世界を造ったときに始められましたが、主イエス様の到来によって、いわば決定的になりました。わたしたちは、イエスが復活されて聖霊をわたしたちにお与えになった、この聖霊降臨後の時代を生きています。聖霊が日々わたしたちの上に与えられているわけであります。

アレルヤ唱では「種というのは神のことばですよ。蒔く人はキリストですよ」と言っています。そうすると、この土というのは何を指しているのか。イエス・キリストの言葉が告げられる相手、告げられる場所はこの世界であり、わたしたち人間であります。この人間に告げられた神の言葉が実を結ぶのだと言っています。人間という土壌には、それ自身、神の言葉を受け取って、種が蒔かれたらその種が芽を出して成長するようなそういう力、そういう準備がある。人間は神様がつくった神様の最高の傑作ですから、神様の言葉を聞いて、それを実行することができるのだと、そういうように考えてよいでしょう。人間は神様の御言葉を聞いて、それを行うことができるし、行うようにできているのだ、そう言っていると思います。

ここでしっかりやりましょうと言えばいいんですけれども、今の世界の状況を見ていると、本当にわたしたち人類は神様の言葉をよく聞いて、それを実行するように努力しているのでしょうか。この世界の現実にはまことに残念なひどい状況があると思います。それでもいつか、このからし種のような小さな存在から、どんどん大きくなり、広がって、レバノン杉のように大きな立派な木になるんだという、そういう希望をわたしたちに与えてくれる場所がこの世界ではないだろうかと思います。そこで、この種が蒔かれる土壌自身に種を芽生えさせ、成長させる力があるのですけれども、他方、わたしたち人間は人間として考えてみれば、神の言葉を聞いて、それを受け取り、そして実行するように呼びかけられているのであります。わたしたちは、地上において、体を住処としている時に、神さまにどういうようにお応えしたかということが最後に問われますよということを今日の第二朗読でパウロが言っています。

今日のミサの集会祈願ですね。ここに今日のミサの趣旨が良く表されていると思います。「愛といつくしみに満ちた神よ、あなたはキリストによって始められた神の国を、力強く成長させてくださいます。ここに集まるわたしたちがあなたの働きに心を向け、み旨の実現に協力する者となりますように。」
わたしたちは神様の協力者となることができる。そして、実際に既にそうしている。もっと協力を前に進める。協力する人の輪を広げることができますよう、わたしたちも小さな努力を続けていきたいと思います。



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