信仰講座 ARCHBISHOP COUSE
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■ 第42回「死を超えるいのちの世界」 2018. 6.6.説教
年間第9週水曜日 カトリック浦和教会 第一朗読:二テモテ1.1-3、6-12 福音朗読:マルコ12.18-27 福音 復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。 次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。 こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。 復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」 説教 サドカイ派の人々とは祭司を中心としたグループで、神殿を中心とし、大きな勢力と収入を持っていた人々であります。この人々は復活ということを否定した。他方、ファリサイ派の人々は復活を信じていました。そのサドカイ派の人々がイエスに尋ねた。「モーセの律法にある通り、次々とこの兄嫁と結婚した7人の兄弟がいたが、復活した時にその兄嫁は誰の妻になるのか。」この質問には悪意が込められているように感じます。だから、復活などということはばかげたことではないかと言っているようであります。 イエスは言われた。あなたがたはとんだ思い違いをしている。復活の世界というのはこの世界の延長ではない、全く異なった新しい世界。そこでは、めとることも嫁ぐこともなく、人々は天使のようになる。この世界の人間関係というものは復活の世界では継続する存続することはない。では、誰であるか全く関係のない世界になるかというとそういうことまで、はっきり言っておられませんが、この世のわたしたちが持っている人間関係は終了しますが、むしろ、一人ひとりの人がもっとその人らしくなる、神の前に一人の人間として最も輝く状態になるということではないかとわたくしは考えております。 葬儀、あるいは追悼ミサの時に唱える、ミサの死者のための叙唱を思い出します。 「信じる者にとって死は滅びではなく、新たな命への門であり、地上の生活が終わった後も天に永遠の住処が備えられています。」 永遠の住処にわたしたちは招かれており、それはイエス・キリストの復活の命にあずかることであります。 イエスの言われたもう一つの言葉はいささかわかりにくいと思います。 「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であるとあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」 イスラエルの神はアブラハムに現れた神ですが、更に何度も繰り返し、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であると言われました。そう言われるからには、このアブラハムは地上の生活は終わりました、イサクも、ヤコブも亡くなりましたが、しかし、その亡くなった人の神が、生きている時だけ彼らの神で、死んでしまったらもう彼らの神ではないということはあり得ない。アブラハムもイサクもヤコブも今もなお生きており、イスラエルの神の内におられる。イスラエルの神は、今なおイスラエルの先祖たち、アブラハム、イサク、ヤコブの神として、イスラエルの人々と深く関わっているのだということを言っており、復活の世界をあらかじめさし示しているのではないかというように解釈できると思います。 |
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