カトリックさいたま教区
ホーム・Home初めての方へ・Welecomeお問い合わせ・Contactサイトマップ・Sitemapご利用について・Conditions of Useリンク・Links文字サイズ・Text sizeQRコード
カトリックさいたま教区

信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

一覧表に戻る

■ 第34回「主の昇天」はわたしたちに何を意味しているか?」  2018. 5.12説教


主の昇天 浦和教会

第一朗読:使徒1.1-11
第二朗読:ヘフェソ4.1-13
福音朗読:マルコ16.15-20


福音
それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕


説教
主の昇天のミサを献げます。イエスは復活されてから40日間にわたって、弟子たちの前にお現われになりました。そして、40日目に、彼らの見ている前で天に昇られた、と聖書が告げております。この出来事、主の昇天は、わたしたちにどのような意味をもっているのでしょうか。
ミサの時に司祭が唱える集会祈願は、通常、その日のミサの趣旨を簡潔かつ正確にわたしたちに示すお祈りであります。今日の集会祈願を見ていただきますと、新しい天と地という言葉が出てきます。この言葉に今日は注目したいと思います。

新しい天と地という言葉は、神がご自分の支配を及ぼす世界、しかも神の世界が完成される時の世界を示していると思われます。ヨハネの黙示録の21章に出てくる「新しい天と新しい地」という言葉が最もよく知られておりますが、すでに旧約聖書の中で、この言葉が言及されています。イザヤ書の65章、66章に出てきます。そして、新約聖書では、ペテロの手紙の中にこの言葉が述べられている。このペテロの手紙によると、神のご計画によれば、神は最後の時、それは主イエス・キリストがわたしたちのところにまたお出でになる時、再臨の時であります。すべてのものを滅ぼして、そして、すべてのものを完全に新しくしてくださるという意味のことが言われているのであります。

さて、わたしたちは主イエス・キリストの復活の恵みにあずかり、復活の栄光と復活の命に与る者とされました。そして更にわたしたちは、やがて主の昇天の栄光に与ることができると言う希望を与えられております。「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています。」と集会祈願が述べています。

今日のマルコの福音は、わたしたちが福音を述べ伝えるようにという宣教の命令と共に、イエス・キリストの福音を信じ、宣べ伝える者には様々なしるし、そして奇跡が伴うということを述べています。そういうことが本当に可能であるのかという思いがしないでもありませんが、現に教会の歴史の中で、いろいろな方が、いわゆるしるし、あるいは奇跡を行ってきました。神の支配が完成されますと、すべて、今存在している様々な問題、困難、災害、病気、障害などは消滅するはずであります。その時に向かって、わたしたちは信仰と希望のうちに歩まなければならないと思います。

そのことについては、第二朗読、エフェソ書が述べていることがわたしたちにとって大変意味深いのではないかと思う。このエフェソの手紙というのは、パウロが囚人になっていた時に書かれたと言われています。パウロという人は非常に活発に忙しく宣教活動したのでありますが、やっとどこにも行けない囚人という状態になって、落ち着いて、日ごろできなかった思いを書き起こすということをしたのではないかということが言われているようです。それはともかく、パウロが、パウロと言われているのですが、学者の説はいろいろのようですが、次の言葉がわたしたちの心に響いてくるのではないだろうか。
「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」

わたしたちが、神の霊、聖霊を受けた者として、互いに赦し合い、認め合い、助け合い、そして人々を広い心をもって受け入れることによって、愛と平和の世界の実現のために力を尽くすことができますように。聖霊の導きを祈り求めましょう。




一覧表に戻る