カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第35回「福音宣教とは聖霊の実りをもって生きること」  2018. 5.13説教


所沢教会
第一朗読:使徒言行録1・1-11
第二朗読:エフェソ4・1-13
福音朗読:マルコ16・15-20

福音
それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕

説教
 皆さん、本日は主の昇天のミサを献げます。
「主はのぼられた、喜びの叫びのうちに」と、わたしたちはご一緒に唱えました。復活された主イエスは、弟子たちの見ている前で天に昇られました。このイエスの姿のうちに、わたしたちの将来の姿を読み取ることができると、今日の集会祈願、ミサの最初に司祭が唱えるお祈りが述べております。わたしたちもイエスに倣い、主の昇天の喜びに加わり、そして、新しくされた世界、新しい天と新しい地の中に入り、受け入れられることができるのですよ、というメッセージを、わたしたちは今日、しっかりと受け止めたいと思います。
 第二朗読はエフェソの教会への手紙でありました。使徒パウロは、このエフェソの牢獄に繋がれていたらしいですね。そこから手紙を送りました。
「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」
新しい天と地に入るように招かれているわたしたちは、日々どのように生きるべきであるかということをこの手紙が言っています。このエフェソの教会への手紙の教えは、パウロがガラテアの教会への手紙の中で言っていることとほぼ一致しています。パウロが言っていることは、主イエスが教えてくださったように、愛の掟を守りなさいと、愛の掟を守るということは、主の霊、聖霊の導きに従って歩みなさいということであります。聖霊の導きに従って歩んでいるかどうかは、聖霊の実りがあるかどうかによってわかります、と言っています。聖霊の実り、それはエフェソの教会への手紙で述べられていることと同じでありまして、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制などの聖霊の実りが与えられているかどうかによって、その霊の導きに従って歩んだかどうかは、この実りがあるかどうかによって判別できますから、毎日深く反省してください、そういう意味であると思います。
 主の昇天の日、わたしたちは、主イエスに従って新しい天と地の世界に招かれております。最終的にその新しい天と地への出発をするまで、地上の旅を続けなければなりません。その地上の旅をするときに、霊の勧めに従って、日々聖なる捧げものを献げるとともに、イエスが昇天の時に弟子たちにお命じになった宣教の命令に従って、福音宣教、福音化の仕事をしなければならないのであります。み言葉を述べ伝えさない、そして聖霊の導きに従って、神の愛のしるしとなる証しを行いなさい、そのようにイエスは言われました。この言葉は、その時弟子たちに言われた言葉としてではなく、今日の全世界に広がるわたしたちの教会のすべての人に向かって言われています。
 さいたま教区は宣教・福音化年の二年目に入りました。皆さんは、自分の言葉で、自分の信仰の体験を分かち合っていただきたいと切にお願いいたします。わたしは、どうして、どのようにして信仰に至ったでしょうか。どのようにして毎日の日々を過ごしているでしょうか。どのような喜びを与えられたでしょうか。そのような信仰の体験を分かち合っていただきたいと思います。
さらに、聖霊の実りについての分かち合いも大切だと思います。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制、そのような喜ばしい体験の分かち合いは、わたしたちの大きな励ましとなります。
わたしは最近つくづく思いますけれども、教会の外の人が親切にしてくださる、誠実に仕事をしていてくださる、おおむね人々は親切であり、そして忠実に仕事をしているのであります。日本の社会は素晴らしい社会だと思います。教会がもっともっとそうであるはずなんですけれども、場合によって首をかしげることがないわけではない。もしかして、悪いところだけみて、良いところを見ていないのかもしれない。神様が与えてくださった素晴らしい恵みを賛美し、分かち合って歩んで参りたいと思います。




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