カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第31回「キリスト者の霊性とは」  2018. 4.29説教


加須教会復活節第5主日説教

第一朗読 使徒言行録 9:26-31
第二朗読 ヨハネ一 3:18-24
福音朗読 ヨハネ15:1-8

福音
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
 
説教
今日の福音はヨハネの15章の「ぶどうの木」の譬えです。イエスは繰り返し言われます。
「わたしにつながっていなさい。」
イエスにつながっているとはどういうことでしょうか。どうしたら、何時もイエスにつながっていることができるのでしょうか。
イエスにつながっているとは、イエスの愛を生きていることではないでしょうか。それは、イエスの言葉、イエスの掟を守っていることでもあります。イエスの掟とは、ヨハネの手紙が言うように、「互いに愛し合うこと」です。
どうしたら、日々、互いに愛し合うという掟を守ることができるでしょうか。
イエスの愛を生きるとは、イエスの霊を受け、霊の勧めに従って歩むということです。神の霊、イエスの霊である聖霊に従って生きることこそ、キリストの弟子の霊的生活であります。

霊的生活において大切なことは何でしょうか。
それは、まず、祈るということです。
祈るとは、まず、神のことば、主イエスの言葉を聞くことです。聴き、味わい、深く心に留める、ということです。今、まさに、ミサにおいて、わたしたちは、一緒に神のことばを聞き、主イエスの言葉に耳を傾けているのです。
神は、神の民にお話になります。一緒に、神のことば、キリストの言葉を聞き、分かち合うということが、神の民である教会になくてはならない大切なことです。それは、神の霊に従って生きるために、非常に大切であります。

さらに思えば、霊的生活において大切なことは、日々の反省ということです。一日の終わりに、今日、自分は、神の霊の導きに従って歩んだであろうか、ということを静かに反省すること(糾明)が大切であります。そのためには、例えば、使徒パウロの次の言葉を黙想しましょう。
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」(コロサイ3・13)
わたしたちは、人の粗探しは得意ですが、自分の問題には目を瞑ってしまいがちです。
今日、自分の兄弟姉妹をどのように受け入れたでしょうか。赦すことが出来たでしょうか。
赦すとは、欠点を欠点でないとすることではなく、それでも、その人を大切に思い、広い心で受け入れることに他ならない、と思います。
また、使徒パウロは、次にようにも言っています。
「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(ローマ12・10)
日々出会う人を尊敬し、自分には分からないことを知っている人、自分にはない優れた点、美しさ、善さを神から頂いている人、復活された主イエスがともにいてくださる方、というように受け取ることができたでしょうか。それはやさしいことではないと思います。
今日の福音で、イエスは言われました。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15・5)
イエスにつながって生きる人、それはイエスの霊に従って歩む人であり、その実りは使徒パウロが言っている通りです。
《霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。》(ガラテヤ5・22-26)




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