カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第22回「香油の注ぎを受けるイエス」  2018.3.26説教


受難の月曜日
 2018年3月26日(月)浦和教会
第一朗読 イザヤ42.1-7
福音朗読 ヨハネ12.1-11

福音朗読
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。  「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。 祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。
多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。

(説教)
昨日から聖なる一週間が始まり、今日は受難の月曜日であります。今日の福音、ヨハネの12章は、過ぎ越し祭の6日前にベタニアで起こった出来事を告げています。イエスは、度々、ベタニアにある、マルタ、マリア、ラザロの家に行かれたようであります。

さて、この時、マリアは、純粋で、非常に高価なナルドの香油を、一リトラというかなりの量を持ってきてイエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭ったのであります。このマリアのしたことは、人々を驚かせました。マリアは何のためにこのようなことをしたのでしょうか。後でイエスを裏切るイスカリオテのユダは、このマリアの行為を非難して言いました。「なぜこの香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と。

マリアの心とユダの心の間には大きな隔たりがあったようであります。マリアはひたすらイエスのことを思い、そして、間もなくイエスがこの世から去ることを予感し、その葬りのための用意をしたのではないかと考えられています。更に、イエスこそ真の王であり、油注がれた者、メシアであるということを、予め、前もって、人々に指し示したのではないか、という考え方も成立しています。

それに対して、イスカリオテのユダの考えていたことは世俗の問題であり、そして、金銭のことでありました。ユダが本当に貧しい人のことを思って言ったのではなくて、彼はイエスから会計を預かっていたのでありますが、「その中身をごまかしていた」と書かれています。3百デナリオンというお金は相当な金額になります。1デナリオンが1日の労働者の賃金であると言われますので、1年分の給与に相当しますが、彼はそのお金を、貧しい人のために使うことを考えたのではなく、ごまかしているお金のことを思って、そう言ったのであると福音書は告げています。

昨日から始まった聖なる一週間、イエスがどのようにして十字架上の死に赴いていったのか、イエスを取り巻く人々の心はどのように揺れ動いていったのか、そして、その一週間の中で、2千年後のわたしたちは、自分自身の心を見つめながら、主イエスの受難の意味、そして、過ぎ越しの神秘、復活の喜びにあずかることができますよう、心静かに過ごしたいと思います。





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