カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第9回「四旬節の施し、節制、断食、祈り」  2018. 3.16説教


四旬節第四金曜日
第1朗読 知恵2.1a、12-22

福音朗読 ヨハネ7.1-2, 10.25-30
その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。
ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。
イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。
しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。
わたしと父とは一つである。」

(説教)
 おはようございます。今日は3月16日でありまして、今年の復活祭は4月1日、半月後には主の復活を祝うことになります。教皇様は全世界の信者に向かって復活祭を迎える準備として、特別な祈りと礼拝の時を過ごすようにと勧めておられます。本来一週間前の金曜日から土曜日の24時間がその時でありましたが、都合によりまして一週間あとになりました。

 四旬節を良く過ごすことは、復活祭の意味を良く味わうことに通じる、非常に大切なことであります。主の過ぎ越しをより良く味わうためには、過ぎ越しの神秘を生きなければなりません。四旬節は、何よりもまず、施し、節制、断食、そして、祈りを、特別に心をこめて行う時であります

 施し。わたしたちが預かっているさまざまな物、金銭をはじめ、いろいろな財産は、神様からの預かりものであり、多くの人と分かち合うべきものであります。いつの時代もそうですが、世界中には、生活上の困難を経験している人が多いのであります。そのような人々のために、わたくしたちは喜んで自分の持ち物を捧げるようにいたしましょう。

 わたしたち人間の持っている問題の中に、自分の欲望を正しく制御するべきであるという課題があります。この問題も、今の世界の中で、大きな問題を引き起こしております。四旬節は、特に、まず、自分自身の生活を見直しながら、慎み深い時、そして、断食と犠牲をささげる時を過ごさなければなりません。そして、祈りの時が大切であります。教皇様がお望みになっているのは、ただひたすら、主イエスの前に出て、何もしないで、神様の呼びかけ、そして、主イエスの言葉に耳を傾け、心を向けるということであります。わたしたちは、ご聖体という素晴らしい恵みを受けております。ミサの後、ご聖体の顕示があり、できる限りご聖体の前で、ご聖体におられる主イエスを礼拝しながら、静かに、神のみ言葉、主イエス・キリストのみ言葉を黙想したいと思います。

 わたしたちの生活は、いろいろなことで忙しい、心がいろいろなことに覆われてしまう。せめて、四旬節の一日、何もしないで、主イエス・キリストに直接ささげることができますよう願っております。

 今読まれましたヨハネの福音の中で、イエスは、「わたしは、自分は天の父から遣わされた者である」と言っております。ユダヤ人は、そのイエスの言葉を信じることができず、受け入れることができなかった。イエスとユダヤ人との対立、イエスとユダヤ社会の、ユダヤの宗教の指導者、律法学者、ファイサイ人、そして、祭司たちとの対立が、やがて、イエスの受難、十字架へと結びつくのであります。この機会に、イエスがどのようにして死への道を歩んだのか、ということを、しみじみと味わうことが大切ではないかと思います。

 四旬節にはヨハネの福音が読まれることが多いです。ヨハネの福音で、イエスがどのような人として描かれ、そして、どのようにして死に向かって歩んで行かれたかということを、ヨハネの福音を読みながら、より深く味わうようにいたしましょう。




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