カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第19回「助祭の務め」  2018.3.21説教


助祭叙階式
2018年3月21日(水・祝)所沢教会

受階者:ホルヘ・マヌエル・マシアス・ラミレス

第一朗読:民3・5−9
第二朗読:使徒6・1−7

福音朗読:ルカ10・1-9
その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
 
説教
 お集りの皆さん。ホルヘ・マヌエル・マシアス・ラミレスさんの叙階式に際し、一言申し上げたいと存じます。

 助祭という奉仕職は、今日読まれた第二朗読に起源を持っているとされております。有名なステファノを始めとする七人の奉仕者が選ばれ、最初の助祭とされました。この助祭は、教会の中で非常に大切な役割を担うことになり、その後、教会の歴史の中で、様々な大切な任務を果たしてきました。印象として、主に、組織として必要な、実用的な仕事を担うようになったと思います。その後、教会の歴史の中で、色々な変遷があり、現在のカトリック教会では、助祭は二種類に分かれています。終身助祭、生涯助祭として、司教、そして教区のために働く方々と、司祭になる前の段階で、司祭への道の最後の仕上げをする助祭と、二つの助祭のコースがございます。ホルヘさんは、一年後には司祭になることを目指している助祭に、今日叙階されるのであります。この機会に助祭の役割、そして、わたしたち教会の使命について、ご一緒に分かち合ってみたいと思います。

 今、ホルヘさんは、共同体の皆さんから推薦されて、助祭の叙階を受けることになります。助祭というのは、共同体から選ばれる奉仕者であります。自分だけ一人で「わたしは助祭である」ということはできないのであります。そして、叙階式において、司教と皆さんのお祈りを受け、聖霊の賜物によって、助祭の任務を務めることになります。

 助祭は、何よりも教会の奉仕者であり、教会を代表する者であって、自分の言葉、そして、自分の行いによって、わたしたちの信仰を表し、伝える者であります。信じていることを言葉で表現し、かつ、自分の述べていることを実行することによって、人々に主イエス・キリストを表し、伝えるという、非常に尊い使命を授かるのであります。

 今日、これから叙階をお受けになりますが、その中で、生涯独身の生活を守りますという約束をしていただきます。ただ独身であるということではなくて、独身であり、かつ、貞潔な生涯を送りますという約束をしていただきます。今の社会、そして、もしかして、今の教会の中で、性の問題が大きな課題であります。そして、聖職者による性虐待、性暴力という大変深刻な問題が起きている今日この頃、その点に充分に注意し、身を慎み、そして、そのためによく祈るようにしてください。祈りということが非常に大切であります。さらに、助祭になるときに、「聖務日課」、日本では「教会の祈り」といいますが、教会の祈りを務めとして果たすという約束をしていただく。

 助祭が選ばれたのは、使徒たちが直接自分で行うことが難しくなった状況で、使徒たちに代わって、貧しい人、苦しんでいる人、悩んでいる人のために働くためでありました。いつの時代も、どこにおいても、苦しむ人、悩む人、病気の人、身体の不自由な方などいらっしゃいます。そのような人々のために、特によく奉仕する役割は、助祭に与えられている、大切な務めであります。そして、助祭は、教会共同体の中で、司教を始めとする他の奉仕者、司教、司祭、そして、奉献生活者、そして、信徒の方々との繋がりの中で、自分の役割を果たします。

 今日は、司教との関係について、誠実に約束をしていただくことになります。さらに、助祭は、旧約のレビ族に連なる祭壇奉仕の仕事を受けることになります。2018年という今日の日本の教会の中での、さいたま教区において、ホルヘさんは助祭になり、そして、皆様のお祈り、ご支援に支えられて、一年後には司祭になることが大いに期待されている。そういう状況で、特にわたしたちが心に深く思うべきことは何であろうかと考えました。一緒に考えましょう。何でしょうかね。

 ホルヘさんは、メキシコから来ました。日本全体が大変国際化しておりますが、さいたま教区は16教区の中でも多分一番目に国際化、多国籍化している教区であります。色々な言葉を自分の言葉とする人々が、多数いらっしゃいます。日本語だけでない、英語、スペイン語、ポルトガル語、韓国語、ベトナム語、その他。そういう様々な言語を生きる、文化を身に着けている人々が、同じ地域で、同じ教会に所属しているのであります。そのような状況で、お互いに異なる文化、言語、習慣を持ちながら、同じイエス・キリストにおいて一つに結ばれ、助け合い、受け入れ合い、赦し合う、そういう教会を今わたしたちは造っているし、もっともっとしっかりと造っていかなければならない。その点ついて、ホルヘさんには、大いに期待が集められているのであります。どうかよろしくお願いいたします。

 さらに考えてみれば、今の時代、人々はどのような問題を持っているのか、どのような飢え、渇き、ニーズを持っているのか、今の社会の状況はどうなっているのでしょうか。ひと言で言い表すことはできませんが、多くの人は、たとえ経済的に貧困でないとしても、精神的に孤独であったり、あるいは落ち込んでいたりする、そういうような人が多数おられる。そして、安らぎと救いを求めている。そういう人々に、わたしたちはどうしているだろうか。カトリック教会は敷居が高い。難しい。近寄りにくい。そう言われてもう何十年、あるいは何百年も経ったのかもしれないけれども、あそこに行けば暖かく迎えてもらえる、何かの助けが得られると思っていただけるような、わたしたちでなければならないと思う。人柄にもよるので、ちょっと気難しいような人もいるかもしれません。人によって色々ですけれども、全体として、あの団体は自分たちを受け入れる。自分の場所がありそうだと思ってもらえるような、そういう教会にもっと変わって行きたい。さらに考えてみれば、来たらそうしてあげる、ではなく、こっちから、そういうように出て行かないといけません。来たらしてあげるよという偉そうな態度じゃなくて、こちらから色々な方、苦しんでいる方、悩んでいる方のために、わたしたちの気持ちを伝えることができないかなと思う。しかし、中々難しいことで、あなた困っているから、わたしが何かしてあげるよというようなものでもない。その辺はどうしたら良いのだろうか。もう、司教、司祭、助祭だけのことじゃなくて、我々全員が、よく見れば周りに悩んでいる人、寂しくしている人、病気の方がいますので、そういう方に寄り添い、そういう方と少しでも心を交わらせる、そういうわたしたちでなければ、そういうわたしたちであることができるはずであると。

 今日の福音は、イエスが七十人の派遣をしたということですが、わたしたちはすでにイエス・キリストによって造られた教会でありまして、洗礼を受け、堅信を受けて、イエス・キリストによって派遣されているわけであります。派遣される時には、その使命を実行できるようにお恵みをいただいている。ですから、ホルヘさんの助祭叙階とともに、わたしたち一人ひとりの使命をもう一度思い起こし、そして、わたしたちは、毎日の生活の中で、何ができるか、どこをどう変えることが必要であるか、ということも、併せて考えてみたいと思うのであります。





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