カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第13回「焼き尽くすいけにえと死者の埋葬」  2018. 3. 9 説教


第一朗読:ホセア14.2-10

福音朗読:マルコ12.28-34
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

説教
 皆さん、本日は4人の司祭、一人の助祭の方々の永遠の安息を願ってミサをお献げいたします。マチア山根俊夫神父様、ピエール・フラマン神父様、パウロ・ロベンス神父様、フランシスコ・アシジ齋籐紳二助祭様、ステファノ尾方昭二神父様の5人であります。尾方神父様は昨年の3月10日に帰天されました。齋籐助祭様は2015年3月13日にお亡くなりになりました。5人の方の働きに心から感謝申し上げるとともに、いつくしみ深い神様が5人の方々に永遠の安息、そして、豊かな報いをお与えくださるように祈りましょう。

 今日は四旬節第3金曜日であります。四旬節は言うまでもなく、復活祭を迎える準備の時であります。準備のために大切なことは、良く祈ること、節制すること、そして、犠牲を献げることであります。

 犠牲ということですが、イスラエルの民は牧畜する人々であって、羊や牛などを飼っていました。聖書の話はそういう歴史と背景を持っている。わたしたちの歴史と生活からは、かなり遠いものがあります。いけにえを献げるという時に、神様に自分たちの持っている大切なものをお献げするわけでありまして、そのいけにえの仕方について、非常に細かい詳しい規定があった。そして、その中には、「焼き尽くすささげもの」があります。昔の翻訳では、「燔祭」と言っていましたが、その動物、自分たちの大切な財産である動物、羊や牛を、灰になるまで、煙になるまで、全部燃やして神様に献げるという献げ方をしていたんですね。普通は神様にお供えしますけど、あとはそれを下げて、人間が使うわけですけども、焼き尽くすいけにえという場合は、文字通り焼き尽くしてしまうわけで、全部神様のものにしますという意思表示ですね。そういう犠牲を非常に大切にしていたが、他方、神様のお授けになったさまざまな掟、十戒をはじめ、いろいろな掟があるが、そのことについては形式的な理解しかしていない。イスラエルの民の中で弱い立場に置かれている者、それは孤児、やもめ、そして寄留者、この人たちは弱い立場に置かれている。そういう人たちが、苦しんだり、困っていたり、蔑まれていたりしても、その人たちのために何もしない、関心を持たない、一生懸命神様に献げものはするが、すぐそばにいる人のために、何か良いことをしようという方に心が向かない場合があった。多かった。そのことを、預言者は激しく責めていたのであります。今日の福音はそのような背景を持っていると思います。

 神様を愛するという時に、どうするかと言えば、神様にいろいろなものをお献げします。自分たちの持っている大切なもの、それは何といっても牛や羊ですから、それは神様に献げます。でも、神様は霊であって、肉や血を直接召しあがるわけではない。そういう物に、わたしは、もう飽き飽きしたと、それよりもわたしが望むことは、神の慈しみを実行することなんだ、神はそう言われたのであります。

 そこで、わたくしたちが思い出すのは、教皇フランシスコがおっしゃった、「いつくしみの特別聖年」のことであります。「神のいつくしみを実行しなさい」というお勧めを教皇様はなさいました。そして、そのいつくしみの御業は、伝統的に、七つあるということですね。それはマタイの福音書の25章に出てくる愛のわざと一致しています。飢えてる人に食べ物をさしあげます。渇いてる人に飲み物を差し上げます。着る物のない人に衣服を、寝る所がない人には宿を提供する。そして、病者を訪問し、受刑者を訪問する。そしてですね、マタイの福音には出てないことが七番目に出てくるんですね。それは、死者を埋葬するっていうことなんですね。他の動物はどうなのかよくわからないんですけれども、人間が人間であるのは、この「死」ということに対して特別な意識を持ち、そして、死者を埋葬し、死者のために祈るということをずっと行ってきたという点にあります。亡くなった、もうこれは大きなごみにすぎないから、どうでもいい、とは決して思わない。亡くなった方のお体、ご遺体を大切に扱い、そして、丁寧に埋葬する。そして、お祈りを献げる。尊敬、そして、願いを込めて、ご一緒にお祈りするわけであります。

 実は、一昨日のことなんですけれども、東京教区のカテドラルで、一人の司祭の葬儀が行われました。井手雄太郎という神父様で、91歳、司祭生活63年、そういう方、あの白柳枢機卿様と一緒に司祭に叙階された方なんです。わたしたちは、日ごろ行っていることですけども、どなたかが亡くなると、何をしていてでもとりあえず中断して、亡くなった方の葬儀を行うわけです。そして、わたしたちもいずれそうしてもらう時が来るのであります。

「死者の埋葬」ということはどういうところから来たのかわかりませんが、今、日本の社会は、このように平穏ですから、落ち着いて葬儀を行うことができますが、そうできない状況、そうできない時代があった。何かの記録によると、至る所に死体が山のように積み上げられていたというような状況があった時代、そういう場所もある。

 わたしたちは、亡くなる人を、みんな亡くなるわけですが、人が亡くなるということについての深い心遣い、そして、亡くなった時のことを、残されたご遺族のことを、深く思い、そしてお互いに慰め合い、励まし合うということ、それは非常に大切なことであり、隣人を愛するということの中に含まれる、心がけるべきことではないかと思うのであります。


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