カトリックさいたま教区
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信仰講座 ARCHBISHOP COUSE

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■ 第1回「イエス、12使徒を選ぶ」  2018. 1.19 説教


第一朗読:サムエル上24・3−21
福音朗読: マルコ3・13-19

福音
(そのとき、)イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。


説教:イエス、12使徒を選ぶ
 今日記念する3人の神父様方、パウロ 内野作蔵神父、パウロ 小倉三郎神父、オードリック・フィッシェル神父は、さいたま教区(旧浦和使徒座知牧区・浦和教区)において司祭として、長い年月奉仕されました。司祭は、司教と共に働く者であります。今日、司教と呼ばれる人たちは、主イエス・キリストによって選ばれた使徒の後継者であるとされています。使徒という言葉は、派遣された者という意味であります。今日の福音は、イエスが12人を選んだという重要な出来事、12使徒任命の由来を述べております。12人を選んだ理由は、彼らを自分のそばに置くため、派遣して宣教させるため、悪霊を追い出す権能を持たせるため、であると述べられています。

 イエスの弟子たちは、まずイエスのそばにいる者、イエスと共にいる者であり、イエスの生き方を学んでいる者であります。そしてさらにそのイエスから派遣されて、イエスから託された使命を果たす者であります。派遣された者は、派遣した方から命じられた、委託されたことを行う者であって、自分のこと、自分勝手なことを行う者ではありません。派遣された者は、派遣した方の御心を行う者であるということであります。司教、司祭について言われておりますが、さらに、洗礼を受け、堅信を受けた全ての信者は同じように派遣されておりますので、派遣された方の御心をよく知り、そして行わなければならないのであります。

 悪霊を追い出すということが言われております。これは何を意味しているのでしょうか。福音書を読むと、イエスは度々悪霊の追放ということを行っております。今日のわたしたちの環境では、この言葉を理解するには戸惑いがあるかもしれませんが、悪の力と考えると分かりやすいでしょう。悪が存在すること、悪が力を持っているということに間違いはない。わたしたちは、悪と戦うために、悪を克服するために遣わされていると言わなければならないと思います。

 イエスは12人を選んだ。ルカによる福音の並行箇所で同じことを述べている。並行している箇所を見ると、イエスは山に登って一晩お祈りをしてから12人を選んだのでした。よく祈ってから12人を選んだのです。たくさんの弟子が集まっていました。その中で選りすぐって、12人を選んだ。その、よく祈った上に決断して選ばれた12人でありますが、その中の一人ユダがイエスを裏切ることになった。これは大変不思議なというか、神秘なことであります。どうしてユダは、イエスを裏切ることになったのでしょうか。使徒の使命から外れてしまったのでしょうか。でも考えてみると、裏切ったのはユダだけではないのです。イエスの弟子は全員、イエスを見捨て、そして逃亡してしまった。五十歩百歩、同じようなものです。でも、さらに考えてみると、ユダは後悔して、そして自殺してしまいました。ペトロもイエスを裏切りましたが、涙を流して痛悔し、イエスに従う決意を新たにしたわけであります。

 今の教会の中にある様々な問題を、わたしたちはそれを、直接的に、あるいは間接的に見たり聞いたりしております。教会は罪びとの集まりでもあります。
イエスが選ばれた弟子たち、その人たちも弱い人であり、踏み外すこともある人であり、そして、罪を犯す人々でありました。わたしたち自身もそういう者でないとは言えない。聖霊の導きを謙虚に願いながら、日々、自分の歩みを主イエス・キリストがいつも導いてくださるように祈り求めて、歩んでいきたいと思います。


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