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飯能教会司牧訪問



2016年4月3日 神のいつくしみの主日


カトリック飯能教会

福音朗読  ヨハネによる福音 20・19-31

今日、復活節第二主日は教皇ヨハネ・パウロ二世により「神のいつくしみの主日」とされました。
ポーランドのいつくしみの聖母修道女会のシスター ファウスティナ・コヴァルスカは、1931年2月22日、自分に出現した主イエスの言葉を次のように伝えています。
「夕方、修室にいた時、白い衣服を着ていらっしゃる主イエスを見ました。片方の手は祝福を与えるしぐさで上げられ、もう片方の手は胸のあたりの衣に触れていました。胸のあたりでわずかに開いている衣服の下から、ふたつの大きな光が出ていましたが、一つは赤く、もう一つは青白い光でした。沈黙のうちに主を見つめていました。しばらくして、イエスはわたしに言われました。「あなたが今見ている通りに絵を描きなさい。その下に『イエス、わたしはあなたに信頼します』という言葉を書きなさい。わたしのこの絵が、まずあなたたちの聖堂で、そして世界の至る所で崇められることを望む。」(『聖ファウスティナの日記―私の霊魂における神のいつくしみ―』聖母の騎士社、より)

 シスターファウスティナは、2000年4月30日復活節第二主日に教皇聖ヨハネ・パウロ二世によって列聖されました。その際、教皇は、以後復活節第二主日を「神のいつくしみの主日」と呼ばれるようにする、宣言しました。
おりしも、わたしたちは「いつくしみの特別聖年」を祝っています。神のいつくしみとは何であるのか、しみじみ深く知ることができるよう、祈りたいと思います。本日のヨハネの福音の20章は、弟子たちが神のいつくしみを深く、強く、はっきりと体験した出来事を述べています。

「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」(ヨハネ20・19)
弟子たちは怯え慄いていたのです。師イエズスの身に起こったことが自分たちの上にも起こるのではないかと恐れ、どこかエルサレムのはずれの家に「引き籠り」、肩を寄せ合って、息を殺して、潜んでいたのでしょう。
そこにイエスが入ってきました。扉を施錠してあったのに通り抜けて入ってきて、「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)と言われました。
弟子たちは「主を見て喜んだ」(ヨハネ20・20)とあります。この喜びは彼らを恐怖から解放しました。イエスは罪と死に打ち勝ったのです。喜びは恐怖を追放します。
「あなたがたに平和があるように」とは、当時のユダヤ人の普通の挨拶でした。これは今日でも通常の挨拶ですが、弟子たちには特別な意味をもたらしました。この挨拶は彼らを「後ろめたさ」から解放したのです。師を裏切り見捨ててしまった弟子たちは、罪責感に責め苛まれていました。このイエスの一言は彼らをこの暗い思い、罪の重荷の責め苦から解放しました。「罪からの解放」は彼らに「平安」をもたらしました。
「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(イエスは)そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(ヨハネ20・21-23) 
弟子たちは派遣の命令を受けます。その際、イエスは聖霊を授け、彼らが受けた神のいつくしみの体験を、宣べ伝えることができる者とされたのでした。
ところで、「だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」とありますが、赦されない罪とはあるのでしょうか。それは、たとえ使徒が罪の赦しの福音を宣べ伝えても、相手がその福音を信じない場合、その呼びかけに心を開かない場合のことです。この場合、イエスの罪の赦しの恵みは、その人たちの心に入っていくことができません。結果的に「赦されないまま残る」ことになります。つまり、それは罪人が自分の罪を認めてゆるしを願わない場合に起こることです。神はすべての人の救いを望んでいるのです。
「神のいつくしみ」の体験とは、罪ある自分、弱さと欠点を持つ自分が、神からゆるされ、受け入れられ、自分の存在自体が認められ愛されている、という喜びの体験である思います。
それについて、いつも思い出す旧約聖書の言葉があります。
今日もこの言葉を結びとして皆さんへ、復活祭のお祝いとして差し上げたいと思います。
全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、
回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し、
お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、
あなたはすべてをいとおしまれる。(知恵の書11・23-26)

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