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聖木曜日「主の晩さんの夕べのミサ」



2016年3月24日 聖木曜日・主の晩餐の夕べのミサ 


カトリック館林教会

第1朗読  出エジプト記 12:1-8、11-14
第2朗読  Tコリント  11:23-26
福音朗読  ヨハネによる福音 13:1-15

2016年3月24日、館林教会
今日の福音朗読は、ヨハネの福音13章です。その冒頭に部分は、「過越祭の前のことである。」
となっています。「過越祭」はユダヤ人にとって非常に大切な祭りでした。その起こりは今日の第一朗読、出エジプト記が説明しています。誰が過ぎ越すのかといえば、それは主なる神です。誰を過ぎ越すのかといえば、それは、イスラエルの民の家です。次のように言われています。
「その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」 (出エジプト12・12-14)
すなわち、神はエジプトの国のすべての家を巡り、すべての長子を滅ぼしてしまうが、 血が塗ってある家は通り過ごして、その家には害を及ぼさない、と言っています。この神の救いの出来事を、いつまでも思い起こし感謝するために「過越祭」が行われてきました。イエスもユダヤ人として過越しの祭りを行っていたのです。
ところで、わたしたち新約の神の民とっての「過越し」とは、死から命への過越しを意味します。使徒パウロは今日の第二朗読で述べています。
「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられた新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。
だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」(一コリント11・23−26)
ここに新しい過越祭の起源が述べられています。イエスは死という誰もが免れない地上に命の終わりを通り過ぎて永遠の命の世界へ移って行きました。そして、信じるものへ聖霊を注ぎ、死から命への過越しへ、と招いています。
わたしたちキリスト者は、すでにこの過越しの神秘に与っている者であり、過越の神秘を日々生きる道のりを歩んでいます。その終着点は個人としては地上の生涯を終えるとき、人類の歴史としては、主キリストが再びこの世界へ帰って来られるときです。その時までわたしたちは希望のうちに信仰の巡礼の旅をしていくのです。
イエスは、十字架の死を経て復活の命へと過越していきました。キリスト教徒を迫害していたパウロは復活したキリストに出会い、生き方を正反対の方向に変えさせられ、キリストの忠実な弟子となったのです。
「記念」という言葉が大切です。記念とは、単に昔おこったことを思い起こしだけではなく、その救いの出来事が今、ここに起こっている、と信じその恵みを分かち合う、ということです。その分かち合いの祭儀がミサにほかなりません。今晩はいわば最初のミサである主の晩餐の記念を今ここ、館林教会で行っています。
ところで、主イエスは最初のミサである「最後の晩餐」で重要な教えを残しました。それは「わたしが、あなたがた愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい」という教えです。この愛の掟を自ら実行して模範を示されました。その模範とは、師であるイエスが弟子たちの足を洗う、ということでした。
「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」)(ヨハネ13・12-15)

新しい過越祭であるミサは、弟子たちが主イエスの模範を今ここで受け止め、そしてその模範を実行する恵みを授ける記念の祭りです。
今晩は新旧二つの過越祭の起源を学びながら、主イエスにならって過越しの神秘を生きる恵みを祈り求めましょう。

 

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