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浦和教会ミサ



2016年2月21日、浦和教会 四旬節第二主日


四旬節黙想会

第一朗読 創世記15・5-12,17-18
第二朗読 フィリッピ12・7-4・1
福音朗読 ルカ9.28b-36

 今日、四旬節第二主日の福音は毎年、「主のご変容」を告げる箇所です。
イエスはペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登りました。それは「受難の予告」をしてから八日目のことであり、エルサレムの出発する前に、静寂な環境で、父である神と親しい交わりのひと時過ごしたいとイエスが切望したからでした。たぶん深夜のことでしょう、祈っているイエスの様子が変わり、イエスの顔と姿は神の栄光に包まれました。そこにモーセとエリヤが現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしている最期について話していました。モーセはシナイ山で神から律法を授かった人、エリヤは神の言葉を告げる預言者の代表です。
イエスはモーセとエリヤで代表される旧約聖書の教えと預言を成就するためにエルサレムに上ります。そこには十字架の最期という苦しみが待ち受けています。そのことをイエスは知っていました。受難へ向けて父である神との語らいが必要でありました。また弟子たちの前で、あらかじめ受難の前に、ご自分の栄光を垣間見させ、弟子たちの躓きと失望を防ぎ、彼らの信仰を堅くする必要を感じたのではないか、と思われます。
イエスは事前に復活の栄光を弟子たちに示し、弟子たちもその栄光にあずかる道を示しました。弟子たちは主の復活の後で、ご変容の出来事を明確に思い出し、後世のわたしたちに、栄光の瞬間の様子を伝えたのだと思います。

 ところで、主の栄光にあずかるという信仰と希望は弟子たちだけに与えられたのではありません。今ここに集うわたしたちは誰でも、キリストの復活の栄光にあずかるという信仰と希望を持っています。今日の第二朗読は、次のように述べています。
「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリッピ3・20-21)
わたしたちの「本籍」は天にあります。わたしたち人間は本来「神の似姿」である神の子です。本来のわたしたちは神の栄光の輝きに包まれる神の子であるのです。
ところで現実には、自分をはじめ、多くの人々は、罪という悪に侵され、闇の中に置かれ、聖霊の導きと肉の欲望の間で葛藤を経験しています。また病気、心身の不自由、肉体の弱さに苦しんでいます。これは本来の人間の状態ではありません。人は神の子であり、神の栄光にあずかる者であり、神はこの「卑しい体」はキリストの「栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリッピ3・21) わたしたちの行き着くべき目標は、主イエスの再臨の時にキリストの復活の体に変容していただく、その時なのです。
 わたしたちはすでに洗礼によってキリストの復活にあずかりました。今わたしたちは、まだ地上の旅の途上にあります。地上の生涯を終える時、そして主の再臨のときが、キリストの復活のいのちの完成の時です。
今日洗礼志願式を受けるみなさん、この信仰と希望を生涯固く保ってください。
今日の第一朗読は、信仰の父であるアブラハムの物語です。アブラハムに倣い、日々信仰の道を歩み、希望をもって進みましょう。そして、「主のいつくしみ」に感謝し,いつくしみを実行する者となってください。

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