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熊谷教会司牧訪問



2015年11月29日 待降節第一主日


カトリック熊谷教会

 待降節は主キリストのご降誕を祝う準備の季節ですが、同時にキリストの第二の到来の時である終末を思い、決定的な解放の時を待ち望むときでもあります。本日のルカの福音は、「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21・36)と述べています。またそうできるように「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい」(ルカ21・34)とも言っています。
考えてみれば、わたしたちの生活と仕事にはストレスが多く、色々な心配事が絶えません。つい度の過ぎた飲食に更けることもあり、また、心は不安や心配事に覆われ、神様のことは後回しになっていることに気がつきます。主イエスは言われました。
「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」(ルカ12・31)
いつでも神の前に立つことできるよういつも備えていなければならない、そのためには生活を改めなければならないでしょう。待降節はそのためによい機会となります。第二朗読、テサロニケの教会への手紙で言われているように、日々、いつも神が喜ばれるように歩んでまいりましょう。

 さて、12月8日は無原罪の聖マリアの祭日、この日より「いつくしみの特別聖年」がはじまります。
教皇フランシスコは「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」という大勅書によって、この特別聖年の意義を説明しています。
人となった神、イエス・キリストにおいて神のいつくしみは余すところなく示されています。御子を見る者は御父を見るのです。イエス・キリストを見る者は神のいつくしみ深い神を見ます。教皇フランシスコは、わたしたちが主イエスを通して現れた神のいつくしみをより深く悟り、喜びのうちに神のいつくしみを人々に伝え現すようわたしたちに呼びかけています。
神のいつくしみは、神がわたしたち罪人の罪をゆるし、傷と痛み、病をいやし、わたしたちを清め活かし、聖である神の懐へと導きます。
 神のいつくしみをより深く知るためには、よく祈り、聖書をより深く味わい、またゆるしの秘跡、聖体の秘跡に心を込めて与らなければなりません。
確かに神は罪を悔い改める者をゆるします。しかし、罪のゆるしを受けたものがまったく問題のない清く聖なる者とされたのではないことを、わたしたちは知っています。過ちや罪をおかした者はお詫びの償いをしなければなりません。
わたしたちは罪のゆるしを受けてからも肉のわざとたたかい、自分の清めのための戦いである償いをしなければなりません。
 このたびの特別聖年に際して教皇フランシスコは、9月1日の書簡(1)において「免償」(2)について語っています。この手紙によれば、「免償」についての教皇の意図は、「免償」を通して人が神のいつくしみに触れる機会を持つように、いう点にあります。具体的な償いと清めのわざと行うことにより、わたしたちは神のいつくしみに与り、さらに神のいつくしみのわざを人々のために行う人となるのです。

この恵みにあずかるために例えば次のような清めと償いの行いが勧められます。
1) 指定された聖堂へ巡礼し、「いつくしみの扉」を通り、聖体を訪問して所定のお祈りをし(教皇による特別聖年の祈り)信仰宣言を唱える。(3)
2) 司祭からゆるしの秘跡を受けまた聖体拝領をする。
3) 聖書によって神に慈しみを深く黙想する。
4) 神のいつくしみにかなった行いを実行する。
神のいつくしみを現し伝える行いは、それが霊的なもの(煉獄の魂のための祈りなど)であれ、体による善行であれ、それぞれがそのたびに「免償」を得る機会となります。
教皇は、病気、老齢、そのほかの理由で教会訪問できない人々や、刑務所から出ることのできない囚人も神のいつくしみを受けることができる具体的な道を示しています。
また胎児を犠牲にせざるを得なかった女性に対しても、神のいつくしみを説き、ゆるしの秘跡を受けるよう励ましています。
特別聖年が神の慈しみをより深く悟るとしてなりますよう、聖霊の恵みを祈りましょう。

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