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群馬東ブロック・合同堅信式



2015年11月8日 年間第32主日 群馬東ブロック合同堅信式


カトリック伊勢崎教会

第一朗読 列王記上17・10-16
第二朗読 ヘブライ人への手紙9・24-28
福音朗読 マルコ12・38-44

イエスは言われました。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
彼女が賽銭箱に入れたものは「生活費のすべて」(44節)と言われていますが、「生活費」と訳されたギリシア語の「ビオスbios」は「人生」「生活」「生涯」「生命を支える手段」という意味です。生活費とは地上の命を支える手段です。彼女は自分の人生・生活全部を神にささげ、生涯を神の計らいにゆだねました。今日の第一朗読に出てくるサレプタのやもめも自分と息子に残された最後の食べ物すべてを預言者エリヤにささげたのでした。
ここでわたくしは使徒パウロの次の言葉を思い出します・
「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。」(ローマ12・1)
それは自分の体を通して、体によって神のみ心を行う、ということです。
わたしたちは主の祈りで「み心が行われますように」と祈りますが、それは、
わたしにおいて、わたしを通して、神のみ旨が行われますように、という意味であり、「み心を行う」ということは、すなわち日々の生活を神への献げものとするということです。
イスラエルの宗教は、神に動物のいけにえを献げることを詳しく厳しく規定していますが、他方、預言者は神を知ること、神の愛を知り、神の慈しみに生きることを求めています。すなわち、例えば、ホセアの預言は次のように言っています。
6:6 わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。
「神を知ること」が求められているのです。神を知るとは、まず神の愛を知る神の愛に応えて生きることです。
さて、今日は堅信式が行われます。堅信の秘跡によって授けられる恵みはなんでしょうか。それは次の7つの聖霊の賜物です。儀式書によればそれは、
「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心」です。これは、イザヤ書に出てくる神の霊と同じです。すなわち、それは、知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊)(イザヤ11・2)です。
この中に「主を知る恵み」が出てきます。堅信を受ける者は主を知り、永遠の命へと導かれます。
ヨハネ福音は言っています。
17:3 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
「神を知る」とは永遠の命にあずかること、といえます。
第二朗読ではこのように言われています。
「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身をささげられた。」(ヘブライ9・28)
ミサにおいてキリストの体であるご聖体が献げられます。わたしたちの日々の生活も主イエスの献げものであるご聖体とともに父である神に捧げられなければなりません。
一日の始まり、その日の生活を神に奉献する恵みを祈りましょう。一日の終わり、感謝を込めてその日を振り返り、どのようにその日を神のみ心に従って生きたか、反省するようにいたしましょう。



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