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高崎教会 司牧訪問



2015年4月19日 復活節第3主日説教


カトリック高崎教会

キリスト教という宗教は、ナザレのイエスの復活と言う出来事に基づいて成立した宗教です。弟子たちはイエスの復活という体験をし、喜びをもって人々にこの出来事を宣べ伝えました。先週の復活節第二主日の福音はヨハネの福音で、恐怖に慄く弟子たちの所へイエスが現われて「あなたがたに平和があるように」と言われた次第を語っています。今日の福音は、エマオへ向かう二人の弟子たちに復活したイエスが旅人の姿で現われた、と言う話の後半の部分です。今日は前半の部分も含めて、エマオへの弟子にイエスが出現した話を見ていきましょう。
二人は、イエスの十字架刑の出来事に意気消沈し暗い表情をしていました。イエスが彼らに近づき一緒に歩き始めましたが二人の目は遮られていたので、その人がイエスであるとは分からなかったのです。イエスは、旧約聖書全体にわたってご自分について書かれていることを説明しました。イエスの説明を聞くうちに彼らの心は次第に明るくなり、一緒に夕食の席について、イエスがパンを裂いたとき、彼らの目が開けて、その人がイエスであると分かった、という次第までが前半の話です。
このエマオへの弟子へイエスが出現した話は、いまわたしたちが奉げているミサの構造とよく似ていると言われます。
ミサではまずみ言葉を聞き、その意味を分かち合い、その後でパンとぶどう酒を献げ、そしてご聖体をいただきます。聖書を聞き味わうことはイエスを迎えるために欠かせない準備となっています。
エマオの弟子の話では、イエスご自身が弟子たちと一緒に歩き、聖書の説きあかしをしている点が注目されます。聖書はイエスの導きに従って一緒に読み味わうべき書物です。ところどころ分かりにくい部分が聖書にありますが、聖書は復活したイエスという視点から読むべき大切なメッセージです。
さてイエスは弟子たちに言われました。「あなたがたに平和があるように。」(ルカ24・36)
弟子たちは、イエスからいただいた平和を人々に伝えると言う使命を受けました。イエス・キリストの平和とは罪のゆるし、罪からの解放の福音です。さらにこの地上において一人ひとりの人が人間として尊ばれる社会を建設するよう、努力するという使命でもあると思います。
イエスは言われました。
  「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)
 日本の司教たちは戦後70周年に当たり、メッセージ『平和を実現する人は幸い―いまこそ武力によらない平和を』を発表しています。(2015年2月25日)
 第二次世界大戦の悲惨な体験から、二度と戦争を起こしてはならない、という堅い決心をし、わたしたちは戦争を放棄し、紛争解決のためには武力を行使しないという決意を全世界に向かって表明してこの70年を歩んできたのです。戦争放棄という理想はキリストの福音そのものがすべての人に求めている、すべての人がめざし守るべき目標であります。
実は、司教団は、戦後50年にあたり、『平和への決意』というメッセージを発表しています。(1995年2月25日)この中で司教たちは、「当時のカトリック教会には、当時の民族主義の流れのなかで日本が国をあげてアジア・太平洋に兵を進めていこうとするとき、そこに隠されていた非人間的、非福音的な流れに気がつかず、尊いいのちを守るために神のみ心にそって果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていた」と述べました。
また、戦後60周年を迎えたときには「非暴力による平和への道〜今こそ預言者としての役割を〜」を発表して、「キリスト者は、悪に対するのに悪をもって対抗するのではなく、悪に対して善をもって対抗し、悪に対して善によって打ち負かすよう、求められている」と述べまいた。 
この非暴力の精神は日本国憲法第9条によって具現しています。国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、また戦力を保持しない事をわたしたち日本国民は決意したのであります。9条のおかげでわたしたち日本国民は、この70年、戦争によって誰も殺さず、戦争によって誰も殺されずに済んできたのです。
戦争、軍備、武器のためにどんなにか多くの軍事費が使われていることでしょう。武装を解除し、武器を平和と幸福のための道具に転換すべきです。
現実はこの理想から程遠いのですが、この理想に向かって歩んでいかなければなりません。
武器を放棄するということには、心の武装解除が伴わなければなりません。心の武装解除とは、わたしたちの間での信頼と友情を生み出し育てること、醸成であります。イエス・キリストの十字架は民族の間の隔ての壁を打ち壊しました。わたしたちは同じ神の子として、ともに祈り、ともに学びます。そのためにもまずわたしたちは異文化の人々、ことなる文化を生きる人々が互いに「触れ合い、助け合い、理解し合う」(「1995年の司教団メッセージ『平和への決意』より」よう努めなければなりません。
平和のために働くことは日常の祈りと行為の積み重ねです。キリストに倣い、互いに痛みと苦しみを担い合い、喜びと希望を分かち合って歩んでまいりましょう。それがキリスト者の平和への道であると信じます。

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