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教区司祭2月の命日記念ミサ



2015年2月20日、司祭命日ミサ説教


灰の式後の金曜日

故長江 恵司教、故シャール・アンドレ師

本日の司祭命日記念ミサは、ラウレンチオ 長江 恵(さとし)司教様、シャール・アンドレ神父様のお二人のためにささげられます。
長江司教様は第二ヴァチカン公会議に参加され、公会議の教えに従って日本の教会の典礼の刷新するために尽力されました。
シャール・アンドレ神父様はフランシスコ会司祭で長く浦和教会で司牧されました。大変明るく信仰の深い方でした。
あらためてお二人に感謝をささげ、永遠の平安を祈ります。

今日の聖書朗読と福音朗読について一言申し上げます。
イエスは「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と問われて、「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる」と答えました。この回答は謎のようでした。花婿が奪い取られる時とはイエスの受難のとこでしょう。それはともかく「今は断食のときではない」とイエスは答えました。
わたくしはこのイエスの言葉から、灰の水曜日のイエスの言葉を思い出します。イエスは律法学者、ファリサン人の断食を激しく批判しました。彼らは断食のときに、これ見よがしに、沈んだ顔をし、見苦しいかをします。彼らの断食は自己宣伝の演技、偽善に過ぎないのでした。真の断食とは何か、といえば、その回答は今日のイザヤの預言58章に出ています。
「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。
悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて
虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え
さまよう貧しい人を家に招き入れ
裸の人に会えば衣を着せかけ
同胞に助けを惜しまないこと。」(イザヤ58・6-7)
ここで挙げられている断食の行いとは、マタイの福音25章の最後の審判で問われている愛の行いに対応しています。
すなわちそれは、イエスが
「飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」
と言われた愛の行いです。
さてそれでは今日の状況でわたしたちが行う真の断食とは何でしょうか。
基本的にはマタイ25章の行いと同じですが、わたくしは、特に、病者、障がい者、孤独な人に寄り添い助けることが大切と感じています。
現代の荒れ野において多くの人が精神的な問題を抱え迷い苦しんでいます。この人々の癒しを心から願っています。







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