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那須高原「マリアの家」訪問



2015年2月16日 那須高原「マリアの家」 


第一朗読 創世記4・1-15,25
福音朗読 マルコ8・11-13

今日の創世記は、最初の人間であるアダムとエバの子どもであるカインとアベルの間に起こった悲しい出来事を伝えています。それは兄弟殺しという人類最初の殺人でした。
カインとアベルはそれぞれ自分の労働の実りを主なる神に献げました。主はアベルとその献げものには目を留められたが、カインとその献げものには目を留められませんでした。何故か、その理由は分かりません。多分、カインの献げものは最良のものではなかった、不完全な粗末なものだったのでしょう。あるいはカインの献げる動機に問題があったのでしょうか。
ともかくカインは激しく怒りました。弟の献げものは受入れられたに自分の献げものは受け入れらなかったという事実は、彼にとって激しいストレスとなりました。彼は弟に激しく嫉妬しました。「嫉妬」は人間にとってとても厄介な感情です。カインは嫉妬という感情を制御しなければならなかったのです。しかし、彼はそのストレスの解消のために間違った行動に出たのです。弟を殺すことによって問題の解決を計りました。カインは何故自分の献げものが嘉されなかったのか、神に問うべきではなかったでしょうか。あるいは自分でその理由を反省する必要があったでしょう。人生には、このようなことがたくさん起こります。人生とは自分の思い通りにならないことだらけ、と言ってもいいでしょう。この事実を冷静に受け入れ、どうしたらよいか、神に問い、自分でも考えるべきでした。人生の困難に直面したそのとき、謙虚さと勇気が必要だったと思います。

 さて、今日の福音を見ましょう。ここでイエスは人々の不信仰を嘆いています。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるし与えられない。」(マルコ8・12)
イエスは「あなたの信仰があなたを救った」マルコ5・34(出血病の女性)、10・52(バルテマイという盲人)と言って癒された人々の信仰を賞賛している一方で、ここでは、ファリサイ派の人の不信仰を指摘しています。彼らは、イエスの行ったしるしを見てもイエスを信じないで、自分に都合のよいしるしを求めます。自分に納得のできる神からのしるしがなければ信じないという態度を取っています。いわば自分の考えを神に要求し、神を自分の思い通りに動かそうとする、とんでもない不信仰の態度を取っていたのです。これはイスラエルの先祖たちがシナイの荒れ野で主を試みた不信仰の態度と共通する問題です。カインの殺人、ファリサイ派の要求、二つながら信仰とは何かを問う、大切な問題です。わたしたちの信仰はどのような信仰でしょうか。
よく考えてみたいものです。


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