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上尾教会司牧訪問



2015年2月1日 年間第4主日 


カトリツク上尾教会

第一朗読 申命記18・15-20
第二朗読 一コリント7・32-35
福音朗読 マルコ1・21-28

イエスという人は何をした人かと考え、福音書から読み取れることをまとめますと、「神の国の福音を宣べ伝え、病人を癒し、悪霊を追放した」ということになるのではないでしょうか。そして、イエスの働きの中で特に目立つことは、「悪霊の追放」ということです。本日の福音でもイエスは「汚れた霊」の追放を行っています。「汚れた霊」とは悪霊のことです。「汚れた霊に取り付かれた人」は今日の医学から言えば、精神病者あるいは精神障害者と呼ばれる人だったでしょうが、当時は、精神の病気は悪霊によって引き起こされる、という考え方があったと思われます。イエスは悪霊を追放する力を持つ聖なる方である、と、今日のマルコの福音書は述べています。イエスは悪の支配から人々を解放するために来られた救い主である、とマルコは考えていると思います。
神の創造された世界に元来病気などの悪は存在しないはずでした。病気が存在するのは、神と人類の間に「不調和」が生じているためです。

この「不調和」は原罪によって起こったと考えられます。人祖アダムとエバの最初の罪が「原罪」であり、その結果が全人類に及んだ、とわたしたちは考えます。最初の罪によって人類は堕罪の状態に陥り、人間は創造のときの聖性と義を喪失し、欲望に乱れが生じ、欲望を統御できない弱い状態に陥り、無知と死と苦しみに支配される状態におかれるようになりました。イエスはこの堕罪の結果から人間をあがなう救い主として来られたのです。

病気とは何か、障害とは何か、という問題になりますと有名な世界保健機構(WHO)の提案する定義が参考になります。
「健康とは、静的に固定した状態ではなく、単に病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、霊的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」
健康とは静的に固定した状態ではなく、健康と疾病は別個のものではなく連続したものであり、またspiritualにも満たされた状態である、という意味が含まれています。 *
聖書の教えから考えても、このspiritualという言葉が入っている定義のほうが、それが入っていなかった以前のものよりよいと思います。

そして、聖書の言う「平和」(シャローム)が「健康」に該当するのか、と思います。平和とは創造の完成の状態です。病気とはその逆、不調和の状態ではないでしょうか。自分と隣人、自然、そして自分自身と、神との関係の調和に問題があり、不調和がない状態が平和であります。それは神の霊=聖霊による癒しと贖いを受けた状態であると言えます。体の復活、キリストの再臨により、わたしたちは完全にすべての悪(罪と病気などの悪)から解放され、キリストの復活の体に与ります。そのときが「新しい天と地」、宇宙の完成のときです。

「神は人間を不滅な者として創造し、/御自分の本性の似姿として造られた。 悪魔のねたみによって死がこの世に入り、/悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。」(知恵の書、2:23-24)
旧約聖書の「知恵の書」にあることばです。この言葉をしみじみ味わいたいと思います。

*英語による提案の文章は以下の通りです。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

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